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コムド(劍道、geomdo、kumdo)は、主に韓国で行われているスポーツ。漢字表記は日本の剣道であり、それを朝鮮語で発音したものがコムドである。 韓国併合後の日本統治時代に剣道が朝鮮に導入された〔持田盛二、中野宗助、羽賀準一 、小野十生など有名な日本人剣道家が朝鮮総督府警察に剣道師範として赴任している。〕。韓国において、現在盛んに行われているが、礼法や防具等は剣道を一部改変している。 == 歴史 == 明代末期の兵学者である茅元儀が1620年代に著した『武備志』には、倭刀を両手で使う「戚継光演の倭寇刀法」(日本の陰流剣術から考案)と両刃の長剣を両手で使う「朝鮮勢法」なるものが記載されている。 このうち、朝鮮勢法については、茅元儀の友人が朝鮮で学んだ長剣術であると記されているものであるが、この記述の正否を証明する文献等は、他に確認できておらず、失伝したとされる唐代の中国式長剣術であるとの説もある。 そもそも李氏朝鮮では武官の立場が低く、朝鮮の貴族である両班の中でも、武班は常に文班の下位に置かれた。これは元々宗主国であった中国の古代において、文官は武官より上位に位置するものとする官位性をそのまま取り入れたという面と、朝鮮半島で思想上支配的な立場にある儒教の、肉体労働は頭脳労働の下位とする傾向の影響もあった。当然武術は軽視され、新羅以来の伝統である弓技以外は盛んではなかった。 朝鮮半島で最も多用された剣は現在の日本刀のような片刃ではなく両刃であり、朝鮮半島では長らく両刃剣が使用されていた。中世より近代で、朝鮮半島には著名な刀工・研師の名前も残されていない。決定的なのは、中国・韓国の製鉄法は鉄鉱石によるもので、朝鮮半島では日本の踏鞴製鉄のように砂鉄を原料とし直接還元法をした形跡すら見いだせない。 その後、明治以降の日本統治下で、日本の防具・竹刀・道着・袴を使用し、両手で刀を使う形式の「剣道」が韓国に伝わり定着していった。剣道の技には面、小手、胴、突きがあるが、どれも片刃の日本刀の所作である。(両刃剣術と片刃剣術では自然に所作が変わるはずである)。 現代においては、韓国剣道の統括団体である大韓剣道会が剣道(けんどう)の歴史の基礎として李朝の武人やその風習が形を残していると主張し、『武備志』記載の朝鮮勢法を「本国剣法」であるとして、昇段審査の際には日本剣道形と本国剣法の両方を審査するという独自の昇段基準を実施している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コムド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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