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コラル・バッツワース : ミニ英和和英辞書
コラル・バッツワース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コラル・バッツワース : ウィキペディア日本語版
コラル・バッツワース[ちょうおん]

コラル・バッツワースCoral Buttsworth, 1900年 - 1985年12月20日)は、オーストラリアニューサウスウェールズ州タリー出身の女子テニス選手。1930年初頭の全豪選手権(現在の全豪オープン)で活躍し、女子シングルス2勝・女子ダブルス1勝を挙げた選手である。フルネームは ''Coral Annabel McInnes Buttsworth'' (コラル・アナベル・マキンズ・バッツワース)といい、“Corrie”(コリー)という愛称で呼ばれた。彼女は1920年にセシル・バッツワース(Cecil Buttsworth)と結婚し、全豪選手権で活躍した時は30歳代前半であった。
コラル・バッツワースは1931年から1933年まで、3年連続で全豪選手権の女子シングルス決勝に進出し、1931年1932年に2連覇を達成した。1932年には、マージョリー・コックス・クロフォードジャック・クロフォードの夫人)とペアを組んだ女子ダブルスでも優勝し、単複2冠を獲得している。しかし、1933年の全豪選手権決勝ではジョーン・ハーティガンに 4-6, 3-6 で敗れ、3連覇を逃した。
全豪選手権は、創設当初から長い間オーストラリアのいくつかの都市を回り持ちで開催してきた。バッツワースが女子シングルス決勝に進出した時の開催都市も、3年間でそれぞれ異なり、1931年シドニー1932年アデレード1933年メルボルンであった。
コラル・バッツワースはこれまで生没年月日不明の人物であったが、2008年に改訂されたバド・コリンズ編「テニス百科事典」の最新版でかなりの新情報が判明した。それによると、彼女の生年は1900年で(日付までは未判明)、1985年12月20日ニューサウスウェールズ州ヘーゼルブルックにて85歳で死去した。

== 全豪選手権の成績 ==

* 女子シングルス:2勝(1931年・1932年)
* 女子ダブルス:1勝(1932年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コラル・バッツワース」の詳細全文を読む




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