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コリエンテス州 (Provincia de Corrientes)は、アルゼンチン共和国の州。アルゼンチンの東部メソポタミア地方に位置する。州都はコリエンテス。西をサンタフェ州とチャコ州、北をパラグアイ、北東をミシオネス州、東をブラジルとウルグアイ、南をエントレ・リオス州と接している。 精神的にはブエノスアイレスよりもウルグアイのモンテビデオに近く、数度に渡ってアルゼンチン(というよりもブエノスアイレス)から独立しようとしたことがある。また、パラグアイとのつながりも深く、戦争があればどちらに着くかわからないとも言われている。エントレ・リオス州、サンタフェ州と併せてリトラル地方をなす。 公用語にはスペイン語のほか、グアラニー語も採用されている。 == 歴史 == 先住民としては主にグアラニー族が住んでいた。州都のコリエンテスはアスンシオンとブエノスアイレスの中間地点として、1588年4月3日にフアン・トーレス・ベラ・イ・アラゴンによって建設された。イエズス会が州の北部にイエズス会伝道所を作り、彼らはそこからグアラニー族への布教を拡大した。 スペインからの独立戦争に際してコリエンテス州はの連邦同盟に加わった。連邦同盟に属していたエントレ・リオス州のフランシスコ・ラミレス将軍は、統領のアルティガス将軍がポルトガルに敗北し、パラグアイに亡命した後も連邦同盟の将軍としてブエノスアイレスと戦い勝利したので、1820年から一年間、今のコリエンテス州とエントレ・リオス州とミシオネス州を合わせてエントレ・リオス共和国を樹立した。 1830年、コリエンテス州の軍隊がミシオネス州を征服するが、ミシオネス州は1838年にパラグアイの領土になる。 大戦争中の1842年ブエノスアイレス州知事フアン・マヌエル・デ・ロサスの独裁に対し、サンタフェ州と共に独立を宣言した。これにはパラグアイによる支援があったといわれている。両州を併合するためにウルグアイからフルクトゥオソ・リベラの雇ったジュゼッペ・ガリバルディが侵攻してくるが、これは打ち破られた。 1850年にエントレ・リオス州のウルキーサに占領され、三国同盟戦争ではパラグアイ軍の侵攻に遭った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コリエンテス州」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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