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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
コルト・ファイヤーアームズ(、通称コルト)は、世界初のシングルアクションリボルバーを発明した陸軍大佐サミュエル・コルト(1814年7月19日 - 1862年1月10日)の興したアメリカ合衆国の銃器メーカー。創業は1836年。当初の社名は「Colt Patent Firearms」(コルト特許火器)。 コルト社は拳銃のほかに有名なM16やM4カービンなどを生産しており、同じアメリカの銃器メーカーであるスミス&ウェッソン社とはライバル関係にある。 == 歴史 == 一般的にはコルト社がリボルバー(回転式拳銃)を開発したとされているが、サミュエル・コルトがリボルバーを開発した以前からリボルバーは存在していた。ただ従来のリボルバーは、撃鉄を起こし、シリンダーの位置を合わせ、トリガーを引くという原始的な完全手動式機構ものしか存在せず、連射や速射が困難であった。またコルト以前のリボルバーは、リボルバーとは言っても殆どがシリンダーと銃身が分離していない「ペッパーボックスピストル」と呼ばれるタイプのもので、高価な上に実用的なものとは言い難かった。 そこでコルトは1836年に、撃鉄を起こすと同時にシリンダーが回転して次弾を定位置に移動し、後は引き金を引くだけで発砲が可能となる「シングルアクション機構」と、撃鉄を自分の手で起こすことなく引き金を引くだけで連射できる「ダブルアクション」機構を開発して特許を得た。これらの連射メカニズムは、当時としては劇的な連射速度を実現した。しかし、初期のコルト社の製品は高価な上、撃鉄を起こす度に収納式の引き金が出て来るパタースン・モデルに見られる様に、武器としては凝った造りであり武人の蛮用に耐えなかった。そのため軍に正式採用されるには時間がかかっただけでなく、民間市場でも旧式でも安価で信頼性が高いフリントロック式やパーカッション(銃用雷管)式の単発銃や、イーサン・アレン社の連発式アレン・ペッパーボックス(皮肉な事にアレン社のペッパーボックスは、コルトのダブルアクション機構の特許に基づいて製造された連発拳銃だった)に敗北。更には過剰な設備投資が災いし一度倒産している。 その後復活し、数々の傑作を発表していくが、1855年に金属薬莢を使う実包の特許を売り込んできたローリン・ホワイトを門前払いにして、結果としてこの特許を1869年までS&W社に独占されたり、ダブルアクション拳銃の製品化に遅れたりと、その経営は保守的で技術的にはむしろ後手に回っている。ただし個々の製品の完成度そのものは高く、コルトM1851やSAA ピースメーカーが米陸軍の制式拳銃となったこともあり、19世紀後半の業績そのものは順調だったと言えるだろう。 20世紀初頭にはジョン・ブローニングの設計による自動拳銃“ガバメント”M1911を開発。1911年から70年以上に渡ってアメリカ軍の主力拳銃の位置を占め続け、1992年に制式指定こそ解かれたものの、現在でも一部で使用されているという傑作拳銃となっている。 しかしコルト・ガバメントに代わる制式拳銃を決めるトライアルにおいてコルト社が提出した新型拳銃はイタリアのベレッタM92(軍制式コードM9)に惨敗し、また従来回転式拳銃が主流だった警察などの公用関係や民間市場においてもヨーロッパ製の自動拳銃が席巻するに至り、もともとライバルのS&W社にシェアで大きく水をあけられていたコルト社は拳銃の生産からはほぼ撤退した。現在でも生産されている拳銃は伝統的な定番商品であるSAAとガバメントのみとなっている。 20世紀の終わりごろに、カナダでAR-15をライセンス生産していたディマコ社を買収し、コルト・カナダ社に社名を変更した。さらにコルツ・マニュファクチュアリング・カンパニーへの社名変更を経て2002年に軍用銃器専門のコルト・ディフェンスと民生用銃器専門のコルツ・マニュファクチュアリング・カンパニーに分社したが、コルト・ディフェンスの方は2013年にアメリカ陸軍からM4カービンの調達契約を打ち切られた(FNハースタルからの調達に切り替えた)事で業績が悪化し債務超過に陥り、2015年6月15日にデラウェア州連邦倒産裁判所に連邦倒産法第11章の適用を申請した〔Colt Defense files for Chapter 11 bankruptcy protection USAトゥディ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コルト・ファイヤーアームズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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