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コルネイ・イヴァノヴィッチ・チュコフスキー(ロシア語:Корне́й Ива́нович Чуко́вский、英語:Korney Ivanovich Chukovsky、新暦1882年3月31日 - 1969年10月28日)は、ロシア帝国及びソビエト連邦(現:ロシア)サンクトペテルブルク出身の詩人、小説家、文芸評論家、翻訳家、批評家。娘は女流作家のである。 文芸評論、批評以外にも児童文学にも精通し、アイボリット先生の生みの親として名高い。 1962年、『ネクラーソフの克服(''Mastery of Nekrasov'')』でレーニン賞を受賞。また同年、オックスフォード大学より名誉学位が与えられた。 チュコフスキーは翻訳家としてもイギリスの劇作家、詩人であるウィリアム・シェイクスピア、同様にイギリスの小説家、詩人のラドヤード・キップリング、アメリカの詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニストのウォルト・ホイットマン、同様にアメリカの作家、小説家のマーク・トウェインなどの作品を翻訳した〔。〕。なおチュコフスキーは翻訳の他にイギリスの作家、批評家であるギルバート・ケイス・チェスタートンやアメリカの小説家のオー・ヘンリーに関する翻訳論もある。 == 生涯 == 新暦の1882年3月31日、帝政ロシア時代のサンクトペテルブルクに生まれた。出生名はニコライ・ヴァシリエヴィッチ・コルネイチューコフ(ロシア語:''Николай Васильевич Корнейчуков''、英語:''Nikolay Vasilyevich Korneychukov'')で、1901年にオデッサにてジャーナリストとして働いている時にコルネイ・チュコフスキーに改名した。なお、文筆活動も1901年から始めた。 1905年より反政府風刺雑誌『信号』の編集部で働くと同時に文芸評論家としても活動する。 1908年、評論『チェーホフから現代まで(''From Chekhov to Our Days'')』を著す。 1914年に『ホイットマン』などの評論集を著して、その後の1916年より童話『ワニ』を著して好評を得た〔チュコフスキーとは - コトバンク、2013年2月15日閲覧。〕。 1925年に子供言葉について観察した風変わりな著作『2歳から5歳まで』を著す。また同年から1929年、1936年、1942年にかけてチュコフスキーは、アメリカ出身の児童文学作家のヒュー・ロフティング作『ドリトル先生』に登場する主人公のジョン・ドリトルを基にして翻案されたアイボリット先生を生み出した。 1934年、ソビエト連作家連合(:en:USSR Union of Writers)の第1回会議に参加した。 第二次世界大戦後はロシアの詩人であるニコライ・ネクラーソフの研究をし、1953年に『ネクラーソフの手法』を著す。 1962年、『ネクラーソフの克服(''Mastery of Nekrasov'')』でレーニン賞を受賞。同年、オックスフォード大学で名誉学位が与えられた。 1966年、アイボリット先生が『アイボリート-66』として映画化され、ロシアの作曲家のボリス・チャイコフスキーが音楽を担当した。 1969年10月28日、ソビエト連邦時代のモスクワで亡くなる。 なお、日本に於けるチュコフスキーの作品は中本信幸、宮川やすえ、西郷竹彦、内田莉莎子らにより翻訳されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コルネイ・チュコフスキー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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