翻訳と辞書
Words near each other
・ コルネリウス
・ コルネリウス (ローマ教皇)
・ コルネリウス (聖書)
・ コルネリウス・グルリット
・ コルネリウス・グルリット (画商)
・ コルネリウス・グルリット (美術収集家)
・ コルネリウス・タキトゥス
・ コルネリウス・ドレベル
・ コルネリウス・ネポス
・ コルネリウス・フスクス
コルネリウス・ヤンセン
・ コルネリウス・ランチョス
・ コルネリウス氏族
・ コルネリウ・コドレアヌ
・ コルネリウ・テオドリニ
・ コルネリオ
・ コルネリオ (初代教会)
・ コルネリオ・サアベドラ
・ コルネリオ・サアベドラ・ロドリゲス
・ コルネリオ・サーベドラ・ロドリゲス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コルネリウス・ヤンセン : ミニ英和和英辞書
コルネリウス・ヤンセン
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


コルネリウス・ヤンセン : ウィキペディア日本語版
コルネリウス・ヤンセン

コルネリウス・ヤンセン(Cornelius Jansen、1585年10月28日 - 1638年5月6日)は、17世紀ネーデルラントカトリック神学者ラテン語風にはジャンセニウス(Jansenius)とも書く。
==概略==
ヘルダーラント州に生まれる。1602年ルーヴェン大学に入学する。在学中はイエズス会とミシェル・バイウス(Michael Baius)の神学上の争いにまきこまれ、結局は後者の「アウグスティヌス派」に与し、後にアベ・ド・サン・シランと呼ばれるジャン・デュヴェルジェ・ド・オランヌを友とする。学位を取得し、環境を変えてギリシア語を学ぶためにパリに赴く。バイヨンヌ近郊デュヴェルジェの司教学校で、数年間は教鞭をとる。余暇はデュヴェルジェの初期の祖先について研究したり、教会改革について計画するのに費やされた。
1616年にルーヴェンに戻り、南ネーデルラントの神学生のための寮学校で教える。ヤンセンはイエズス会から独立した学校組織をつくろうと試み、その意図を疑われてイエズス会により2回もスペインに送られ、2度目は危うく異端審問を逃れている。1630年にルーヴェン大学の聖書解釈の教授に任命され、1636年にイーペル教区の司教に任命された。その2年後にヤンセンは死去し、著作『アウグスティヌス―人間の本性の健全さについて(''Augustinus;humanae naturae sanitate'')』が、彼の死後の1640年に遺作として発表された。
生前に公表された政治的文書としては『Mars gallicus 』(1635年)がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コルネリウス・ヤンセン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.