翻訳と辞書
Words near each other
・ コンゴの音楽
・ コンゴイド
・ コンゴイール
・ コンゴウアナゴ
・ コンゴウアナゴ亜科
・ コンゴウアナゴ属
・ コンゴウインコ
・ コンゴウインコ (種名)
・ コンゴウフグ
・ コンゴウモン
コンゴウリキシオー
・ コンゴクジャク
・ コンゴス
・ コンゴスト
・ コンゴスネーク
・ コンゴツメガエル属
・ コンゴテトラ
・ コンゴニアス国際空港
・ コンゴニャス
・ コンゴニャス国際空港


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コンゴウリキシオー : ウィキペディア日本語版
コンゴウリキシオー[ちょうおん]

コンゴウリキシオー2002年 - )は日本競走馬である。おもな勝鞍はきさらぎ賞金鯱賞読売マイラーズカップかきつばた記念。2007年の安田記念では2着となった。馬名の意味は冠名「コンゴウ」に最強の力士になるようにという「力士王」、または「金剛力士」から〔なお、同馬主の所有馬に「コンゴウリキシオウ(1993年生、父ダイイチボーイ)」という馬もおり、こちらは地方中央合わせて9勝を挙げている〕。
== 戦績 ==
2004年12月19日阪神競馬場での2歳新馬戦でデビュー。この競走にはディープインパクトも出走しており同馬に次ぐ2番人気に支持され、人気どおりの2着でレースを終えた。
2005年1月8日、2戦目の3歳未勝利戦で初勝利を挙げ、続く500万下条件戦くすのき賞でも1番人気の支持に応え2連勝、初の重賞挑戦となったきさらぎ賞では2番人気で、アドマイヤフジシックスセンスらを相手に勝利し、3連勝で重賞初制覇を成し遂げた。毎日杯3着を経てディープインパクトとの再戦となった皐月賞では、10番人気と低評価で、結果も16着と大敗。1戦を挿んで挑んだ東京優駿(日本ダービー)も16番人気で11着と再び大敗。これがディープインパクトとの最後の対戦になり雪辱を果たせなかった。この後地方のダートグレード競走を2戦するもいずれも勝利は挙げられず、3歳シーズンを終えた。
2006年、復帰2戦を2着、6着として迎えた金鯱賞では岩田康誠が騎乗し、逃げ切りできさらぎ賞以来の重賞2勝目を挙げた〔この勝利で管理する山内研二調教師は史上2人目となるJRA全10場重賞勝利を達成した。〕。その後重賞を2着、5着、2着と安定した走りをみせ、ポートアイランドステークスでは和田竜二が騎乗し1番人気に応え勝利を挙げた。
2007年、緒戦の中京記念では2番人気に支持されるも12着と大敗するが、次走のマイラーズカップで9番人気の低評価ながらスイープトウショウなどを抑えて逃げ切り、1分32秒2のコースレコードタイムで重賞3勝目を挙げた。次走の安田記念では前走同様軽快に逃げたが、ゴール直前にダイワメジャーにクビ差捕らえられ2着に終わった。しかしこの2着は世界的に評価され、8月11日に発表されたIFHA(国際競馬統括機関連盟)による『トップ50ワールドリーディングホース』において、マイル区分119ポンドで最高38位タイ〔その後47位タイまでランクを落としている〕にランクされた。
休養を経て迎えた秋緒戦の毎日王冠ではハイペースとなり6着に敗れ、その後香港マイルに予備登録を行ったが、馬インフルエンザの影響で検疫期間が1ヶ月かかることから、日本から香港国際競走に参戦する予定だった他の有力馬の多くが相次いで回避を表明していた。しかし香港政府と日本国政府の調整の結果検疫期間が14日間に短縮されることとなり、第17回香港マイルへの出走が正式に決定した。その後阪神競馬場で2週間の検疫を受けた後、香港カップに出走するシャドウゲイトと共に香港シャティン競馬場に移動した。12月9日に迎えたレースでは4番人気に支持され、スタートから果敢に逃げたものの、落鉄の影響もあり最後まで粘れず9着だった。レース後は12月12日にシャドウゲイトと共に帰国している。
2008年1月22日に締め切られたアジアマイルチャレンジのシリーズ登録を行った。レースでは、中山記念から始動するが13着、続いて昨年制したマイラーズカップに出走するが7着だった。しかし、5月6日に行われたかきつばた記念では、リミットレスビッドメイショウバトラーらを抑え久々の重賞4勝目を挙げた。続けて、5月28日さきたま杯に出走、1番人気に推されたものの、出遅れが大きく響き9着に敗れた。
その後、中一週の間隔で安田記念に出走。スタート直後から激しく押してハナを奪うも、直線半ばで後続にかわされ6着に敗退した。その後、札幌記念に出走。前走通りハナを奪うが、4コーナーに差し掛かったところで失速し、ブービーの10着と大敗した。次走、エルムステークスでも逃げるものの、ここでも失速しまたもやブービーの11着に敗れた。その後、マイルチャンピオンシップ南部杯に出走するが、ここでもブービーの13着に終わる。続く富士ステークスでは12着だった。本番のマイルチャンピオンシップではクリストフ・ルメール騎手に乗り替わったがスタートでもハナをきれず、結局ブービーの17着に敗れた。その後、12月25日兵庫ゴールドトロフィーに出走、人気通りの4着に終わった。
2009年、中10日の強行ローテーションで挑んだ京都金杯では逃げるものの、失速し13着に敗れた。その後、休養を挟んで5月10日の都大路ステークスに出走。10番人気と低評価だったが、逃げ粘って4着となった。続く6月7日の安田記念ではスタートからハナを奪うも直線で失速してブービーの17着と大敗した。
2009年10月28日付で競走馬登録を抹消。 引退後は韓国に寄贈される予定となっている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンゴウリキシオー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.