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コンゴ動乱(コンゴどうらん、、1960年 - 1965年)は、1960年6月30日にベルギー領コンゴがコンゴ共和国(コンゴ・レオポルドヴィル)として独立した直後に勃発した反乱から始まる混乱である。 1960年7月11日に、旧宗主国のベルギーから支援されたモイーズ・チョンベは、この混乱の拡大に乗じて南部カタンガ州がカタンガ国として分離独立することを宣言したため、混乱を収拾するためにアメリカ合衆国とソビエト連邦の一致で国際連合安全保障理事会決議143が採択されてコンゴ国連軍が投入された。しかし、国際連合がカタンガへの介入に消極的であったことから、初代首相パトリス・ルムンバは支援を求めてソ連に急速に接近し、これが米国寄りの初代大統領ジョゼフ・カサブブとの対立を生んだ。 他方、ジョゼフ=デジレ・モブツは、1960年9月14日に、政治状況の打開を口実として無血クーデターを起こし、ルムンバは自宅軟禁下に置かれた。モブツによって、カタンガのチョンベの元に送り込まれたルムンバは、1961年1月17日に処刑された。また、1961年9月18日には、カタンガ側との仲介を試みた国連事務総長ダグ・ハマーショルドが、飛行機墜落事故で死亡するという悲劇も発生した。 ハマーショルド死後の国連は新しく選ばれた事務総長ウ・タントの下、カタンガに積極的に介入する方針に転換し、米ソ双方の支持を取り付けた(国際連合安全保障理事会決議169)。1963年1月21日に、コンゴ国連軍がチョンベ派の最後の拠点を制圧したことで、カタンガの分離活動は沈静化に向かった。次いで毛沢東主義に感化されて左傾化した旧ルムンバ派の一部が、を引き起こして、1964年7月末からコンゴ中部及び東部で急速に勢力を拡大したが、スタンリーヴィルに監禁された人質を救出する目的で、1964年11月24日からアメリカとベルギーが合同で展開したによって、シンバの反乱軍勢力は大打撃を受け、その直後に崩壊した。 その後は、カサブブと、亡命先から帰国して暫定首相に就任したチョンベとの間で新たな政治的対立が生まれたが、1965年11月25日に、モブツが政治状況の打開を口実として二度目の無血クーデターを起こして権力を掌握し、独立以来続いていた混乱は事実上終結した。このコンゴ動乱は、冷戦を主導したアメリカとソ連による代理戦争でもあり、動乱の期間中に、約10万人が殺害されたと見られている。 == 背景 == === ベルギーの植民地支配 === ベルギーによるは19世紀後半に始まった。国王レオポルド2世はベルギーの国際的な地位と威信の欠如に不満を感じ、当時はまだ大部分が未調査のままであったコンゴ盆地周辺の植民地拡大策を支援するようにベルギー政府を説得しようとした。植民地拡大に消極的なベルギー政府との考えのズレは最終的にレオポルド2世が自分自身の利益のために植民地を統治する方向へと導くことになった。1885年に緩衝国になることを期待した欧米諸国から支持を受け、レオポルド2世の私領「コンゴ自由国」の成立が国際的に認められた。しかしながら、自由国政府当局によるコンゴの先住民に対する暴力や冷酷な搾取は強烈な外交圧力を生むことになり、1908年にベルギー政府が直轄で統治するベルギー領コンゴが成立した。 ベルギー政府によるコンゴの植民地支配は政府・キリスト教の伝道活動・民間企業の「三位一体」を基準としていた。大部分で政府と民間企業の利害が密接に結び付くことで、企業がストライキ破りをしたり、その他の先住民を支配するための障壁を取り除くのを政府が手助けする状況を形成した〔。徹底的な人種差別が行われ、第二次世界大戦が終結した後には社会的地位を問わず、多数の白人の移民がコンゴに移住したが、彼らは常に黒人より優れた待遇を受けることが出来た。 1940年代から1950年代にかけて、コンゴはかつてないレベルの急速な都市化を経験し、「理想的な植民地」作りを目指してプログラムも実施されるようになった。1950年代にはコンゴは他のアフリカ植民地と比較して倍以上の規模の賃金労働力を保持していた。コンゴのウラン(第二次世界大戦中にアメリカ合衆国が開発した核兵器に使用されたウランの多くがコンゴ産だった)を含めた豊富な天然資源は冷戦時代に入り、二大超大国となったアメリカ合衆国とソビエト連邦の両国がこの地域に大きな関心を寄せる要因にもなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コンゴ動乱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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