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コンスタンサ・デ・シシリア : ミニ英和和英辞書
コンスタンサ・デ・シシリア[しりあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

シリア : [しりあ]
 【名詞】 1. Syria 2. (n) Syria

コンスタンサ・デ・シシリア : ウィキペディア日本語版
コンスタンサ・デ・シシリア[しりあ]
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コンスタンサ・デ・シシリア(Constanza de Sicilia, 1249年 - 1302年4月9日)は、アラゴンペドロ3世の王妃。父はシチリアマンフレーディ、母はその最初の王妃ベアトリーチェ・ディ・サヴォイアで、2人の間の一人娘であった。イタリア語名はコスタンツァ(Costanza)。
1262年、アラゴン王ハイメ1世の長男である王子ペドロと結婚した。2人の間には4男2女が生まれた。
*アルフォンソ3世(1265年 - 1291年) アラゴン王
*ハイメ2世(1267年 - 1327年) シチリア王、のちアラゴン王
*イサベル(1271年 - 1336年) ポルトガルディニス1世と結婚
*フェデリーコ2世(1272年 - 1337年) シチリア王
*ビオランテ(1273年 - 1302年) ナポリロベルトと結婚
*ペドロ(1275年 - 1296年)
ペドロ3世はシチリア王女であるコンスタンサを妻とし、また自身もオートヴィル家ロベルト・イル・グイスカルドの娘マファルダの血を引く(先祖のバルセロナ伯ラモン・バランゲー3世の母であった)ことから、シチリア王国の獲得を狙っていた。1282年にシチリアの晩祷事件が起こると、これに介入してアンジュー家カルロ1世を破ってシチリア島を獲得し、シチリア王位についた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンサ・デ・シシリア」の詳細全文を読む




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