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コンスタンティン・コンスタンティノヴィチ・イヴァノーフ(、 Konstantin Konstantinovich Ivanov、1907年5月21日(ユリウス暦5月8日)エフレーモフ(トゥーラ州) - 1984年4月15日 モスクワ)はソビエト連邦の指揮者、作曲家。ソ連人民芸術家(1958年授与)。スターリン賞受賞者(1949年第2席)。 == 概要 == 1920年に父が没した後、赤軍で教育を受ける。そこでトランペットを習得し、数年間、軍楽隊に勤務する。1929年からモスクワ音楽院で学び、指揮法をレオ・ギンズブルクに師事した。在学中の1935年から卒業の1937年まで赤軍中央劇場の指揮者を、卒業後は音楽院付属のオペラ・スタジオで指揮者助手を務めた。1938年の全ソ指揮者コンクールで第3位に入賞し〔この時の上位入賞者は、第1位がムラヴィンスキー、第2位がメリク=パシャーエフ及びラフリン。〕、同年、ソヴィエト国立交響楽団指揮者助手となる。1939年から1941年までモスクワ・スタニスラフスキー=ネミローヴィチ-ダンチェンコ音楽劇場、1941年から1946年までモスクワ放送交響楽団の指揮者として活動、1946年にナタン・ラフリンの後を受けてソヴィエト国立交響楽団の首席指揮者となり、1965年までのおよそ20年間在任した。この間、イヴァノーフ指揮の下、オーケストラは精力的に活動し、ソ連国内の各共和国、ヴォルガ川沿岸の各都市、ウラル、シベリア、極東地方への演奏旅行を行っている。ソ連国外へのツアーも1956年のポーランドを皮切りに始められ数多くの国へ遠征している〔日本へは1964年に訪れ、ベートーヴェンを思わせるイヴァノーフの風貌も話題となった。〕。 イヴァノーフは指揮活動と並行して作曲活動も行っており、代表作には『ガガーリンの思い出に捧げる交響曲』、交響詩『火の年』、コントラバス協奏曲などがある。メロディアに自作を含めた数多くの録音を残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コンスタンティン・イワノフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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