翻訳と辞書
Words near each other
・ コンスタンティナ・トメスク
・ コンスタンティヌス
・ コンスタンティヌス (ローマ教皇)
・ コンスタンティヌス11世
・ コンスタンティヌス1世
・ コンスタンティヌス2世
・ コンスタンティヌス2世 (対立教皇)
・ コンスタンティヌス5世
・ コンスタンティヌス7世
・ コンスタンティヌスの公衆浴場
コンスタンティヌスの凱旋門
・ コンスタンティヌスの寄進状
・ コンスタンティヌス・アフリカヌス
・ コンスタンティヌス大帝
・ コンスタンティヌス大帝の寄進状
・ コンスタンティヌス帝の寄進状
・ コンスタンティヌス朝
・ コンスタンティネスク
・ コンスタンティノス
・ コンスタンティノス10世ドゥーカス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コンスタンティヌスの凱旋門 : ミニ英和和英辞書
コンスタンティヌスの凱旋門[こんすたんてぃぬすのがいせんもん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [がい]
 (n) victory song
凱旋 : [がいせん]
 (n,vs) triumphal return
凱旋門 : [がいせんもん]
 (n) arch of triumph
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

コンスタンティヌスの凱旋門 : ウィキペディア日本語版
コンスタンティヌスの凱旋門[こんすたんてぃぬすのがいせんもん]


フォルム・ロマヌム付近での位置(赤丸)

コンスタンティヌスの凱旋門(,)は、イタリアの首都ローマにある古代ローマ時代の凱旋門で、ローマ建築の代表的なものである。
フラウィウス円形闘技場(コロッセオ)パラティウムの丘フォルム・ロマヌムの間に位置している。西の副帝であったコンスタンティヌスが、ミルウィウス橋の戦いで正帝マクセンティウスに勝利し、西ローマの唯一の皇帝となった事を記念し建てられた。
フランスパリに建設されたエトワール凱旋門のモデルにもなっている。
== 歴史 ==
後にローマ帝国唯一の皇帝となるコンスタンティヌスは、当時西ローマの副帝の地位にあったが、サクサ・ルブラで正帝マクセンティウスの軍団を撃破し、312年10月28日に、ミルウィウス(現ミルヴィオ)においてマクセンティウスを河畔に追いつめ、溺死させることに成功した(ミルウィウス橋の戦い)。コンスタンティヌスはローマに入城すると、フォルム・ロマヌム(現フォロ・ロマーノ)のロストラに立って凱旋演説を行い、フォルム・ユリウム(現フォロ・ジュリアーノ)にて市民に賜金を施した。コンスタンティヌスの凱旋門は、このコンスタンティヌス帝の在位10年目にあたる312年の勝利を記念して造られたものである。奉献式典は315年に行われた。
ただし、この凱旋門には、コンスタンティヌスの時代から遡ること200年前の建築物の装飾が用いられているため、近年、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌスはこれを改変しただけであるとする説も提唱されている。
1960年ローマオリンピックでは、マラソン競技のゴール地点に選ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンティヌスの凱旋門」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.