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ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス(, 161年8月31日 - 192年12月31日、在位期間180年 - 192年)は、第17代ローマ皇帝。ネルウァ=アントニヌス朝としては最後の皇帝である。たびたび改名を重ねたことから全名は一定しないが、公文書などでは「ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス」と記された場合が多い。 先帝マルクス・アウレリウスの嫡男(第十一子で六男)であるため、ティトゥス帝以来となる父子間の帝位継承を果たした。加えてアウレリウス・コンモドゥスは紫の皇子の渾名で呼ばれた最初の皇帝だった。紫とはローマの皇帝権を指し、在位中の皇帝を父に生まれたという意味である。 == 皇帝即位まで == === 出自 === コンモドゥスことルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌスは、第16代皇帝マルクス・アウレリウスと、第15代皇帝アントニウス・ピウスの娘小ファウスティナの子としてラヌウィウムで生まれた。両親は従兄妹でウェルス家という一族の出身であるが、この一族の最も著名な祖先は第13代皇帝トラヤヌスの姉マルキアナである。従って父と祖父のみならずハドリアヌスとトラヤヌスの血統も父方・母方双方から受け継いでおり、まさにネルウァ=アントニヌス朝の系図を結ぶ存在といえる。 長姉は父の共同皇帝であったルキウス・ウェルスの妻であり、末姉小コルニフィキアの孫娘は第23代皇帝ヘリオガバルスの妻となっている。諸皇帝の中でも屈指の良家に生まれたことは、同時代の人間にも認められるところであった。家族は他に双子の兄ティトゥス・アウレリウス・フラウィウス・アントニヌスと、1歳下の弟マルクス・アンニウス・ウェルスがいた。 『ローマ皇帝群像』によれば、母方の更に遠い祖先はポンペイウスであり、カエサルと敵対した人物の末裔が皇帝に即位したという皮肉なエピソードが紹介されているが、信憑性は定かではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コンモドゥス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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