翻訳と辞書
Words near each other
・ コンラッド・イング
・ コンラッド・グレベル・ユニバーシティー・カレッジ
・ コンラッド・ゲスナー
・ コンラッド・シュニッツラー
・ コンラッド・シンガポール
・ コンラッド・スミス
・ コンラッド・スーセンホーファー
・ コンラッド・センテニアル・シンガポール
・ コンラッド・ゾイゼンホーファー
・ コンラッド・ツーゼ
コンラッド・バディウス
・ コンラッド・バフ
・ コンラッド・バフ四世
・ コンラッド・バンコク
・ コンラッド・バンコク・ホテル
・ コンラッド・バード
・ コンラッド・ヒルトン
・ コンラッド・ブルーム
・ コンラッド・ベイン
・ コンラッド・ホテル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コンラッド・バディウス : ミニ英和和英辞書
コンラッド・バディウス
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


コンラッド・バディウス ( リダイレクト:コンラッド・バード ) : ウィキペディア日本語版
コンラッド・バード

コンラッド・バード(Conrad Bade, 1520年 - 1562年10月)は、フランス生まれの印刷出版業者。自身で著述や翻訳も行っていた。なお、名前は、ラテン語混じりの筆名コンラッド・バディウス (Conrad Badius) の方がよく知られている。ほか、コンラドゥス・バディウス (Conradus Badius) とも称した。
ジョス・バードの息子として生まれ、1545年からパリで出版業を営んだ。1550年にプロテスタントに転向し、活動拠点をジュネーヴへ移した。出版業の傍ら、自身でも、プロテスタントの立場からカトリックを批判したり、風刺したりする著書を次々と執筆した。1562年3月にフランスへ戻り、オルレアンに住んだが、半年程のちにペストにより没した。
== 著書 ==
版元は基本的に自身の工房である。
*『ジャン・カルヴァン師により1541年に詠われたイエス・キリストへの勝利の歌。フランス語での新たな韻文訳』(ジュネーヴ、1555年)
*『コルドリエ会士たちのクルアーン』(ジュネーヴ、1556年/1560年)
*『教皇の厨房のキリスト教的サチュロス』(ジュネーヴ、1560年)
*『ローマ教皇や司教たちの生活』(ジュネーヴ、1561年)
*『病気の教皇の喜劇』(刊行地の記載なし、1561年)
*:この文献はバードの死後も何度も再版された。
*『我らがノストラダムス師の美徳』(オルレアン?、1562年)
*:この文献だけ異質なようだが、ノストラダムスは1561年に刊行した暦書ピウス4世に献辞を捧げていたこともあって、当時プロテスタントからは教皇主義者 (Papiste) と非難・風刺されていたのである。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンラッド・バード」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.