翻訳と辞書
Words near each other
・ コークハイ
・ コークハット
・ コークヘルメット
・ コークレン
・ コークロア
・ コークワイ駅
・ コーク・シティ
・ コーク・シティFC
・ コーク・ハイ
・ コーク・バリントン
コーク伯爵
・ コーク国際空港
・ コーク州
・ コーク空港
・ コーク郡 (テキサス州)
・ コーグワーシ
・ コーケン
・ コーケン (建設会社)
・ コーコス信岡
・ コーコモー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コーク伯爵 : ミニ英和和英辞書
コーク伯爵[はくしゃく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 
伯爵 : [はくしゃく]
 【名詞】 1. count 2. earl 

コーク伯爵 : ウィキペディア日本語版
コーク伯爵[はくしゃく]

コーク伯爵 (コークはくしゃく、Earl of Cork) はアイルランド貴族爵位である。1620年、アングロアイリッシュ
の政治家、リチャード・ボイル、初代ボイル男爵 (Richard Boyle, 1st Baron Boyle、1566年-1643年) が叙爵を受けたことにより創設された。彼は1616年に既にコーク州でボイル卿、ヨール男爵 (Lord Boyle, Baron of Youghal) に叙されており、また、伯爵に叙されるのと同時にウォーターフォード州でダンガーヴァン子爵 (Viscount of Dungarvan) が創設された。これらの爵位は全てアイルランド貴族である。
== 概要 ==

=== 初代 - 第5代 ===
リチャード・ボイル、初代コーク伯爵は「偉大なる伯爵」(Great Earl) として知られている。イングランドカンタベリーで生まれたが、1588年にアイルランドに移住し、そこで結婚してコーク州に広大な土地を買った。1631年から1643年まで彼はアイルランド大蔵卿 (Lord Treasurer of Ireland) (英語版) を務めた。彼の三男のロジャー・ボイル (Roger Boyle, 1st Earl of Orrery、1621年-1679年) (英語版) は1660年にオーレリー伯爵に叙されていた。初代コーク伯爵は彼の息子の内4人 が叙爵を受けたことで有名である。さらに彼の他の息子にはボイルの法則を発見した物理学者ロバート・ボイル (Robert Boyle、1627年-1691年) がいる。
1643年初代伯爵が亡くなると、コーク伯爵位は長兄ロジャー・ボイル (Roger Boyle、1606年-1615年) が若くして亡くなっていたため、二男のリチャード・ボイル (Richard Boyle、1612年-1698年) (英語版) に承継された。第2代伯爵は前年既に彼の弟ルイス・ボイル (Lewis Boyle、1619年-1642年) から、勅許状 (Letters patent) (英語版) の特別遺贈によりボイル・オブ・キナルミーキー子爵位 (Viscount Boyle of Kinalmeaky) (英語版) を承継していた。彼は第2代クリフォード女男爵エリザベス・クリフォードと結婚し、1644年、ヨーク州でイングランド貴族であるクリフォード・オブ・レーンズボロー男爵位 (Baron Clifford of Lanesborough) を創設した。彼は後にアイルランド大蔵卿 (Lord Treasurer of Ireland) (英語版) となり、ヨークシャー・ウェスト・ライディング・アイルランド総督 (Lord Lieutenant of the West Riding of Yorkshire) (英語版) となった。1664年、さらにイングランド貴族であるバーリントン伯爵位を叙爵された〔。
リチャードの唯一の息子で相続人のチャールズ・ボイル (Charles Boyle、1639年-1694年) (英語版) は、1663年に父親が従属爵位として保持していたダンガーヴァン子爵位によって、繰上勅書 (writ of acceleration) (英語版) でアイルランド王国貴族院に召喚された。チャールズは後にイングランドのタムワース (Tamworth) (英語版)ヨークシャーからイングランド王国庶民院議員に選出された。1689年、チャールズは父のクリフォード・オブ・レーンズボロー男爵位によって、繰上勅書 (writ of acceleration) (英語版)イングランド王国貴族院に召喚された〔。
1698年第2代伯爵が亡くなるとコーク伯爵位は第2代伯爵の孫で、第3代ダンガーヴァン子爵の息子であるチャールズ・ボイル (Charles Boyle、1660年–1704年) (英語版) に承継された。彼はアイルランド大蔵卿であり、ヨークシャー・ウェスト・ライディング・アイルランド総督であった〔。
1704年第3代伯爵が亡くなると、爵位は唯一の息子リチャード・ボイルに承継された。 彼はバーリントン伯爵として知られ、パッラーディオによる古代ローマの建築図面を出版し、ウィリアム・ケントと共にチジックハウスの設計をした著名な建築家であった〔。
1753年に第4代伯爵のリチャードが亡くなると、彼には息子がいなかったため、クリフォード・オブ・レーンズボロー男爵位とバーリントン伯爵位は廃絶となった。彼のバーリントン・エステート (バーリントンハウス周辺一体の不動産) とクリフォード男爵位は一人生き残っていた彼の娘シャーロットにより承継された。彼女は第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュと結婚し、その三男ジョージ・キャヴェンディッシュ (George Augustus Henry Cavendish、1754年-1834年) (英語版) は1831年にバーリントン伯爵位を復活させた。コーク伯爵位は三従兄弟 (曾祖父リチャード・ボイル、初代バーリントン伯爵の弟の曾孫) 第5代オーラリー伯爵ジョン・ボイル (John Boyle, 5th Earl of Orrery、1707年-1762年) (英語版) に承継され彼が第5代伯爵となった。ジョンは既にアイルランド貴族のブロッグヒル男爵位とイングランド貴族のボイル・オブ・マーストン男爵位を承継しており、この爵位は1999年までイギリス貴族院に議席を有することとなった。彼は作家でジョナサン・スウィフト (Jonathan Swift、1667年-1745年) 、アレキサンダー・ポープ (Alexander Pope、1688年-1744年) 、サミュエル・ジョンソン (Samuel Johnson、 1709年-1784年) 等と友人であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コーク伯爵」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.