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コーチシナ共和国(コーチシナきょうわこく、、)は、1946年から1948年までベトナムのコーチシナに存在したフランスの傀儡国家。独立を目指すベトナム民主共和国からフランス権益の集中したコーチシナを分離する目的で樹立された。1948年に成立したベトナム臨時中央政府に吸収合併されて消滅した。 == 概要 == 第二次世界大戦でドイツがフランスを占領すると、1940年9月に日本軍は北部インドシナに進駐、1941年7月にはコーチシナにも進駐しベトナムを事実上その支配下に置いた(仏印進駐)。しかし無謀なコメの供出などで餓死者が発生すると日本軍に対抗する機運が高まり、ホー・チ・ミンによりベトミンが結成、抗日ゲリラ活動を行い、日本の敗戦後の1945年9月2日にベトナム民主共和国として独立を宣言した。 しかし日本から施政権を回復したフランス政府は植民地支配の継続のためベトナム民主共和国の独立を拒否、各地で独立を求めるベトミンとの衝突が発生した。両国政府は1946年3月にアンナンとトンキンはベトナム民主共和国による自治を認め、コーチシナ地方は住民投票で将来を決定するという仏越予備協定を締結した。しかしフランス政府はベトナム人協力者を擁立しコーチシナ協商委員会を組織、ベトナムとの統一反対を決議、同年6月にコーチシナ共和国が成立した。 ベトナム民主共和国より仏越予備協定違反が指摘されたが、フランスは住民投票実施までの臨時政府と主張、後にベトミンのゲリラ活動により住民投票は不可能になったとしてコーチシナ共和国の恒久化を目指したため1946年末から仏越間で本格的な戦闘が行われるようになった。 フランスとしては北部の貧しい山岳地帯は放棄しても、ベトナム経済の中心地であり、また肥沃なメコンデルタを擁しゴムなどのプランテーションの盛んなコーチシナ地域の確保を目指し、またコーチシナの有力者や華僑の間でも既得権益保護のためにベトナムとの統一を望まない意見もあったが、ベトナムの統一と独立を民族の大義とする意見もありコーチシナ国内世論の統一が行われず、民族の裏切り者として糾弾された初代大統領・が自殺するなど不安定な政治状況が続いた。 ベトナムとの戦闘でトンキンやアンナンの主要都市を占領したフランスはコーチシナのベトナムからの分離からベトナム全土の植民地支配の継続と方針を転換、1948年5月にベトナム全域を管轄する政府としてベトナム臨時中央政府を組織、コーチシナ共和国もそれに吸収され消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コーチシナ共和国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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