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コーネルランサーとは日本の競走馬。1974年の東京優駿(日本ダービー)がおもな勝ち鞍である。晩年は韓国に寄贈された。母の兄弟に快速馬ヘリオスがいる。コーネルランサーの外観はヘリオスによく似ており、金色に輝く四白流星の綺麗な馬だった。 == 概要 == 馬主の久保谷唯三は太平洋戦争中に軍馬の世話をしていた人物であるが、その中の経験で「意地の悪い馬ほど勝負根性がある」ということに気付くようになった。戦後馬主の資格を取った久保谷は訪れた牧場である1頭の子馬に噛み付かれる。その子馬に自らの求める資質を感じ取った久保谷はその子馬を自分の所有馬とすることを決めたという〔『競馬名馬読本2』pp.76-77〕。 コーネルランサーと名付けられたその子馬は1973年夏、福島競馬場でデビューし、その後の11戦すべて3着以内という安定感のある競走成績を残した。ひいらぎ賞をレコード勝ちしクラシック候補になる。京成杯2着、弥生賞3着を経て挑んだ皐月賞ではキタノカチドキの2着に敗れたが、日本ダービーではキタノカチドキらを破ってレコード勝ちを収めた。430キログラム台の小柄な馬であったが、500キログラム台のインターグッドに直線でいったん交わされながら差し返しハナ差競り勝ち、その勝負根性を証明した。 日本ダービー後、京都新聞杯出走のために西下した際に裏すじを傷め、脚部不安を発症。その後一走もすることなく1976年に種牡馬となる。しかしセブンランサー(東海ゴールドカップ)を出す程度にとどまり、1984年に当時の韓国大統領・全斗煥に寄贈されることとなった。「大統領の馬」の肩書きを得た(この肩書きゆえに、担当になった厩務員は無免許運転で職務質問を受けたにもかかわらず無罪放免になったそうである〔サラブレッド101頭の死に方 p120〕。)コーネルランサーは日本時代以上の厚遇を得、1991年に当地で生涯を終えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コーネルランサー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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