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コーリー・サトシ・ナカタニ(、1970年10月21日 - )は、アメリカカリフォルニア州コヴィーナ出身の騎手である。日系3世。香港で騎乗する際の漢字表記では「中谷」と表記される。 == 来歴 == 日系2世の父と競馬を観に行ったのがきっかけで騎手となる。1988年カリフォルニア州の競馬学校を卒業し、メキシコのアグアカリエンテ競馬場でデビューする。デビュー3年目の1990年にはイッツオールグリークトゥーミー(Itsallgreektome)でハリウッドターフカップステークスを制してG1勝ちを収め、以後もアメリカ競馬における騎手リーディング上位の常連として活躍している。 ブリーダーズカップの制覇経験も多く、1996年にはブリーダーズカップ・ディスタフをジュエルプリンセスで、ブリーダーズカップ・スプリントをリットデジャスティスで制している。特にスプリントは1996年から1998年までで3連覇を達成している。 その他の主な勝鞍として、ラヴァマンによる2連覇を含み3度制したサンタアニタハンデキャップ、1991年にライトライトで制したケンタッキーオークスとコーチングクラブアメリカンオークスなどがある。また国外での競走経験もあり、ドバイではドバイゴールデンシャヒーン(2004年)を、カナダではカナディアンインターナショナルステークス(2005年)などを制している。 日本へも来訪しており、初来日は1992年のヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップへの出場時であった。この来日中に、中山3Rの未勝利戦で、1番人気だったニホンピロナーリーに騎乗して勝利し、中央競馬(JRA)初騎乗初勝利を記録している。また第66回中山記念では4番人気だったニホンピロブレイブでJRA重賞初騎乗を果たし2着になるなどの活躍も見せた。1996年には第11回ワールドスーパージョッキーズシリーズに初参戦、結果は6位に終わった。 ジャパンカップへの出走経験も多く、初の機会は1994年の第14回ジャパンカップにサンドピットと共に出走、1番人気に支持されるも5着に敗れている。翌年1995年には再びサンドピットと共に出走するも、3番人気で8着に終わった。その後も2002年(サラファン)・2003年(デノン)にも出走し、2002年には勝ち馬から僅差の2着に入っている。2005年に第6回ジャパンカップダートにラヴァマンと共に出走、6番人気で11着という結果であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コーリー・ナカタニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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