翻訳と辞書
Words near each other
・ ゴットヒルフ・ハーゲン
・ ゴットフリート
・ ゴットフリート (ライン宮中伯)
・ ゴットフリート1世 (下ロートリンゲン公)
・ ゴットフリート3世 (ロートリンゲン公)
・ ゴットフリート4世 (下ロートリンゲン公)
・ ゴットフリート・アウグスト・ホミリウス
・ ゴットフリート・キルヒ
・ ゴットフリート・ケラー
・ ゴットフリート・コルフ
ゴットフリート・ジルバーマン
・ ゴットフリート・ゼムパー
・ ゴットフリート・ゼンパー
・ ゴットフリート・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト
・ ゴットフリート・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク
・ ゴットフリート・ディーンスト
・ ゴットフリート・ハインリヒ・シュテルツェル
・ ゴットフリート・ハインリヒ・バッハ
・ ゴットフリート・ビーゲルマイヤー
・ ゴットフリート・フィンガー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ゴットフリート・ジルバーマン : ミニ英和和英辞書
ゴットフリート・ジルバーマン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ゴットフリート・ジルバーマン : ウィキペディア日本語版
ゴットフリート・ジルバーマン[ちょうおん]
ゴットフリート・ジルバーマンGottfried Silbermann1683年1月14日 - 1753年8月4日)は、ドイツバロックオルガン製作者。
==生涯==
ドイツ東部、エルツ山地の小村クラインボプリッチュ(現在はフラウエンシュタインに編入されている)生まれ。父親のミヒャエル・ジルバーマンは大工であった。はじめザイフェンの玩具職人やフラウエンシュタインの製本職人に徒弟に出されるがいずれも長続きせず、1701年(あるいは1702年)にストラスブールでオルガン製作の工房を開いていた5歳年上の兄アンドレアス・ジルバーマンに弟子入りした。ここで修業を積み、しばらくは兄弟でオルガン製作を行ったが、1710年に単身ザクセンに戻った。

ザクセンでの初仕事は郷里フラウエンシュタインでの小さなオルガンの製作であった。その翌年、ライプツィヒの聖トーマス教会のオルガン奏者兼合唱団長であったヨハン・クーナウの推薦もあってフライベルク大聖堂の大オルガンの製作者に選ばれ、1714年にこれを完成させている。この作業に伴い1711年にフライベルクに引っ越している。ここは良質の木材や金属材料の入手に便利な地であり、彼は生涯この地を住処とした。1723年にザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世から宮廷および国定のオルガン職人に任命されると、各地から多くの名誉ある仕事の依頼が寄せられるようになったが、彼はザクセン(現在のテューリンゲン州ブランデンブルク州の一部を含む)以外の仕事はできる限り断っている。1749年に彼は重い病を患った。晩年の作品であるフランケンシュタインのオルガン、あるいはドレスデン宮廷教会のオルガンは主に彼の弟子達の手によるものである。彼はこれらの仕事の監督をかつての弟子であったツァハリアス・ヒルデブラントに委ねている。
1753年8月4日にゴットフリート・ジルバーマンはドレスデンで亡くなった。彼の工房は、兄アンドレアスの息子でオルガン職人のヨハネス・ダニエルが継いだ。製作中であったドレスデン宮廷教会のオルガンは遅くとも1755年の2月には使われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ゴットフリート・ジルバーマン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.