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ゴルギアス(ゴルギアース、, 紀元前487年–紀元前376年)は古代ギリシアの哲学者(ソフィスト、ソクラテス以前の哲学者)、修辞学者。シチリアのレンティーニの生まれ。プロタゴラスとともにソフィストの第一世代にあたる。古代のドクソグラファーの何人かは、ゴルギアスはエンペドクレスの弟子だったと伝えているが、これはいささか疑わしい。なぜなら、確かにゴルギアスはエンペドクレスより年下だが、たった2、3歳しか違わないからである。「他のソフィストたち同様、彼はあちこちの都市を巡業して回り、全ギリシアの中心であるオリンピアやデルポイでは大衆の前でその技術を披露し、金を取って授業や公演を行った。ゴルギアスのパフォーマンスで特に売り物だったのは、観衆から種々雑多な質問を受け付け、即興でそれに答えることだった」〔W.K.C. Guthrie, ''The Sophists'' (New York: Cambridge University Press, 1971), p. 270.〕。 ゴルギアスが評価されるのは、生まれ故郷のシチリアからアッティカにレトリック(修辞学、弁論術)を移植したことと、文学的散文に使う言葉として古アテナイ方言の普及に貢献したことである。 ==生涯== ゴルギアスは、シチリアのギリシア人植民地レンティーニで生まれた。そこはギリシアのレトリックの故郷だと言われることがよくある。ゴルギアスには、カルマンティデスという名の父親と、ヘロディコスという名の兄弟、さらにデルポイにゴルギアスの彫像を奉納した妹がいたことがわかっている〔McComiskey 6–7〕。 紀元前427年、ゴルギアスはシラクサの使節として、敵対するアテナイに派遣されたが、その時には既に60歳だった。その後、ゴルギアスはアテナイに住み着くことになるのだが、おそらく、その演説のスタイルが人気となり、また、そのパフォーマンスとレトリックの授業が金になったからだろう。アリストテレスによれば、ゴルギアスの生徒の中にはイソクラテスがいたという〔Aristotle, fr. 130 = 3.1.13.〕。 また後世の言い伝えによると、たとえば『スーダ辞典』では、ペリクレスがゴルギアスの生徒とされている。ピロストラトス()はこう言っている。「彼は立派な人たちの注目を浴びていた。若者では、クリティアスにアルキビアデス()、年輩者ではトゥキディデスにペリクレス。悲劇作家アガトーンもそうで、彼は「喜劇」が賢く流暢だと見なした人物だが、しばしばその短長格の詩の中でゴルギアス化した」〔''Lives of the Sophists'' 1.9, trans. George Kennedy in ''The Older Sophists'', ed. R.K. Sprague (Columbia, S.C., 1972), p. 31.〕。 ゴルギアスは100歳以上まで生きたと考えられている。その間に、神殿に奉納するために、自分の黄金像を作ることができるほどの相当な蓄えをした〔Sprague, Rosamond Kent, The Older Sophists, Hackett Publishing Company(ISBN 0-87220-556-8)., p. 31〕。ゴルギアスは紀元前376年、テッサリアのラリサで亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴルギアス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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