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ゴーム老王 : ミニ英和和英辞書
ゴーム老王[ごーむろうおう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ろう]
 【名詞】 1. old age 2. age 3. old people 4. the old 5. the aged 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ゴーム老王 : ウィキペディア日本語版
ゴーム老王[ごーむろうおう]

ゴーム老王(ゴームろうおう、、? - 958年/959年ごろ、ゴーム・デン・ガムレ、ゴルム王とも)は、デンマーク10世紀前半から半ばにかけて、ユラン半島中部のイェリングを拠点にユラン半島からフュン島にかけてのデンマーク西部一帯を支配したとされ、後に「老齢を人間に与えられた運命の限界までひきのばし」たがため「老王」と渾名された〔サクソ・グラマティクスの記述による表現。谷口幸男訳『デンマーク人の事績』(東海大学出版会、1993年)第9の書11節421頁 小澤 (2004),p.10〕。ハーラル青歯王スヴェン双髭王クヌート大王と続くイェリング王権の開祖で、その血筋は現在のデンマーク王室にも繋がっている。イェリングには、妻チューラを「デンマークの誉れ」と讃えたルーン石碑が世界遺産「イェリング墳墓群」の一部として今も遺されている。
== 生涯 ==
イェリング王権(ゴーム家)の開祖とされるが、その事績について言及した史料は限られその解釈も困難であり〔小澤 (2004),p.1〕、出自についても諸説あり明らかになっていない〔『デンマークを知るための68章』, p.139〕。
9世紀から10世紀にかけて、デンマークにはオーラヴ(オーロフ、)を始祖としユラン半島南部の商業地ヘーゼビューを拠点に一帯を支配したとみられる「オーラヴ家」があった。このオーラヴ家のグヌーパ が934年にドイツ王ハインリヒ1世に敗北し、貢納の義務と洗礼を受け入れ〔小澤 (2004),p.4〕、グヌーパ以後その息子シグトリュグ が王位についたことが史料により確認されている〔。このシグトリュグについて、年代記者ブレーメンのアダムによる『ハンブルク司教事績録』(11世紀)第1の書52章には、「彼(シグトリュグ)が僅かの間(デンマークを)支配したのち、ノルマン人の国からやってきたスヴェンの息子ハルデゴン()が彼から王国を奪った」との記述があり、同書57章などの記述から、このハルデゴン(ハーデクヌーズ、(Harthacnut I of Denmark)〔小澤 (2012), p.172〕)をゴーム、あるいはゴームの父親とする見方が一般的である〔『History of the Archbishops of Hamburg-Breme』, p.44〕。なおこの「ノルマン人の国(Nortmannia)」がノルウェーかノルマンディかははっきりしない〔小澤 (2004),p.5〕。同『事績録』によれば、918年から936年まで大司教位にあったウンニ が、ゴームに接見し布教を試みるも「野蛮さがはなはだしいために従えることができなかった」との記述があり〔小澤 (2004),p.14〕、934年グヌーパの敗北と併せ、936年ごろには外部から交渉対象者と認知される地位にあったと考えられる〔小澤 (2004),p.5〕。

ゴームにはチューラ(チューレ、テューラとも。 )という名の妻がいた。その出自について明言した史料はないが〔小澤 (2004),p.6〕、サクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』(12世紀)には「イングランドの王女」であったとの記述もある。同時代の史料として、イェリングにはゴームがチューラを讃えたルーン石碑がイェリング墳墓群(世界遺産)として今も遺されており、次の文言が刻まれている〔小澤 (2004),p.10〕。
ルーン文字デンマーク語訳)
: ''(Side A)'' : kurmR : kunukR :
: : k(ar)þi : kubl : þusi :
: : a(ft) : þurui : kunu
: ''(Side B)'' | sina | tanmarkaR | but |
(邦訳)
:「王ゴームは、デンマークの誉れであるその妻チューラを記念してこの碑を建立した」
: (Jacobsen & Moltke, 1941-42, DR 41)
この石碑に刻まれた「tanmarkaR (デンマーク)」は従来ユラン半島、フュン島、シェラン島そしてスコーネを含む中世デンマーク王国と同一視されてきたが、近年の研究ではこれを「デーン人の辺境(マルク)」と解釈、チューラはデンマーク東部の豪族の娘であったためゴーム家側から「デーン人の辺境の誉れ」と評されたものとする説もある〔小澤 (2004),p.5, p.14〕。こうして外地から来訪したゴームはチューラとの婚姻でその権力基盤を強固なものとしたとみられ、デンマーク史上はじめて領域性をもった国家を建設し〔、その権力基盤は息子ハーラル治世の礎となっていった〔小澤 (2004),p.10〕。
イェリング墳墓群の教会からはゴームの可能性がある遺骨が発掘されているが、その遺骨が元々あったであろう北側墳丘の墓室の支え木の伐採年代から、ゴームの没年は958年から959年の冬と推定されている〔小澤 (2004),p.8〕。遺骨の推定身長は173 cm 、年齢は30代から50代で死因は特定されていない〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ゴーム老王」の詳細全文を読む




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