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ゴーモン : ミニ英和和英辞書
ゴーモン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ゴーモン : ウィキペディア日本語版
ゴーモン[ちょうおん]

ゴーモンまたはゴモン 発音例 )はフランスの大手映画制作会社。1895年に技師・発明家のレオン・ゴーモン(ゴモン)(''Léon Gaumont'' )が創業した、現存する最古の映画会社である〔Richard Abel, ''The Ciné Goes to Town: French Cinema, 1896-1914'', University of California Press, 1994, p. 10, ISBN 0520079361.〕〔シャルル・パテ(''Charles Pathé'' )より1歳年下だったが、パテ (映画会社)よりも早く、写真機の開発と販売を扱う会社を発足させ、リュミエール兄弟による世界最初の映画上映に接して、映画製作に方針を変える(中条省平『フランス映画史の誘惑』集英社文庫 2003年p.45)。〕。
== 歴史 ==
創業当時、ゴーモン(''Société L. Gaumont et compagnie'' )は双眼鏡映写機・カメラなど写真関係の機材を扱う会社であった。1896年撮影にも映写にも使える連続写真撮影機「Demeny-Gaumont」(クロノフォトグラフィーの原理を用いたもの)を発売し、その販売促進用に短編映画も製作した。このときゴーモンの秘書であるアリス・ギイ=ブラシェ''Alice Guy-Blaché'' )が撮影に当たった。ゴーモンは映写機の販売の際に上映用の映画フィルムも同梱するため、1897年から本格的に映画製作に乗り出した。最初は記録映像が多かったが、次第に劇映画も作るようになった。アリス・ギイは映画部門の重役となり多数の映画の監督・製作を行ったが、彼女は女性初の映画監督であるとともに史上初めて劇映画を作った人物とみなされている〔最初に作ったのが『キャベツ畑の妖精』(自伝『私は銀幕のアリス』で1896年としているが、1900年前後と考える人もいる)中条省平『フランス映画史の誘惑』集英社文庫 2003年p.47f。〕。
1900年パリ万博では映写機や撮影用機材などを出品した。1903年にはマーガレットのロゴを採用している。これはレオン・ゴーモンの母マルグリット(''Marguerite'' )にちなんだもので〔Nicole de Mourgues, Le générique de film, éd. Méridiens Klincksieck, 1994, 292 p. (ISBN 2-86563-318-7), p. 179.〕、その後100年間に何度もデザインの手直しは行われているが〔Logos de la marguerite : logos officiels 〕、マーガレットの花びらが「Gaumont」という社名の周囲を取り巻くデザインは今日まで基本的に変わっていない。
ゴーモンはフランス有数の映画会社となり、1905年にはパリ郊外のラ・ヴィレット(19区)のビュット・ショーモン公園付近に大きな映画スタジオ「シテ・エルジェ」(''Cité Elgé'' 、エルジェの街、エルジェとはレオン・ゴーモンのイニシャル「L.G」に由来する)を建てた。これは当時世界最大級のスタジオであった。1906年には有限会社となり、映画製作はシテ・エルジェに集約し、1907年には撮影機材やフィルムの生産からも手を引いて事業を映画製作に集中した。映画館へのフィルム販売もやめレンタル方式へと移行し、自前の映画館網の開設も始めた。1911年には巨大映画館ゴーモン・パラス(''Gaumont Palace'' )を開業している。ゴーモンは、フランスにおけるライバル会社のパテ兄弟社(''Pathé Frères'' 、現在のパテ)とともに、第一次世界大戦勃発前はヨーロッパの映画産業を支配していた。
1907年ごろからルイ・フイヤード''Louis Feuillade'' )がゴーモンの芸術監督の地位にあった。レオンス・ペレ''Léonce Perret'' )も1917年アメリカ合衆国へ渡るまでゴーモンで映画監督を行っている。当時のゴーモンの作品の主なものには、連続活劇『Judex』と『Fantômas』、連続喜劇の『Onésime』や『Bébé』などがあり、その他多数のニュース映画も製作している。映画監督のアベル・ガンスアルフレッド・ヒッチコックジャン・ヴィゴ、初期のアニメーション作家エミール・コールらもゴーモンで作品を作っている。
ゴーモンは1915年にはイギリスロンドン西部にライム・グローブ・スタジオを設立している。また事務所を開いて映画館網を買収し、「ゴーモン・ブリティッシュ」を設立した。この会社は1922年にフランスの親会社から独立し、後にヒッチコックの映画『三十九夜』(1935年)、『バルカン超特急』(1938年)も手がけている。
しかし第一次世界大戦の後はゴーモンの急成長に歯止めがかかり、アメリカの映画会社に市場シェアを奪われる。ゴーモンの名監督だったルイ・フイヤードは1925年に没し、さらにトーキーなどの技術の進歩もゴーモンには負担となった。ゴーモンはアメリカのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と配給の合意を交わしている。また世界恐慌後の不況が襲った1930年代初期、ゴーモンはFranco-Film Aubertとの合併を行い「Gaumont Franco-Film Aubert(GFFA)」となった。1930年代は喜劇映画などで何とか生き延びたゴーモンは、1938年に大手のアヴァス通信社(''Havas'' 、現在の広告代理店アヴァスの前身)のもとで「Société nouvelle des établissements Gaumont」へと再編された。1975年には社名を単に「Gaumont」と変え、Nicolas Seydoux の経営で映画製作などを行ってきた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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