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『ゴールデン洋画劇場』(ゴールデンようがげきじょう)は、かつてフジテレビ系列で放映されていた映画の単発特別番組枠。2001年10月6日放送分より『ゴールデンシアター』としてリニューアルした。 == 概要 == 放映開始は1971年4月2日で、基本放送枠は金曜日21:00(以下全て日本時間)から22:56→22:55→22:54だったが(1981年3月27日まで、またこの枠は現在『金曜プレミアム』になっている)、超大作や特別企画の映画やノーカットの触れ込みでの映画の場合は20:00に放送を開始して、終了時間を延長する場合もあった。クロスネットの放送局の一部では完全放送が出来ず後日放送となり、穴埋め放送を行うこともあった。1981年4月4日からは土曜日に移動された。 *放送時間は金曜日時代と同様。ただし、1981年4月 - 1995年9月の間は21:02開始(21:00 - 21:02に予告番組「映画情報」を放送)。また、1995年10月 - 1996年9月の間フライングスタートは20:59開始となったが、20:59 - 21:00の間は放送される映画の紹介のみなので、実質的には21:00開始となる(2001年4月 - 2003年9月の火曜20時時代劇と同じ)。 当初は、放送作家・タレントの前田武彦が映画解説者として1971年4月23日放送分より起用されたが、1973年6月に同局の看板番組だった『夜のヒットスタジオ』放送内でいわゆる「共産党バンザイ」事件を起こした責任を取り、止むなく同月22日放送分をもって降板、その後暫くは毎回ゲストが交替で解説を担当。同年10月5日放送分より俳優・タレントの高島忠夫が2代目の解説者として起用され、約25年間にわたり同番組の顔として登場していたが、1998年夏に重度のうつ病を冒し療養に専念するため同年7月25日放送分をもって急遽番組を一時降板、一時期は解説がいなくなっていた。その後、ホンジャマカのメンバーでタレント・司会者の恵俊彰を起用し、高島忠夫が復帰するまで解説者として務めた。1999年7月、解説に復帰したが、2001年9月にうつ病が再発し正式に降板、そして10月にリニューアルを迎えた。ただし、後述の解説無しの例外として2001年1月13日の『インデペンデンス・デイ』が放送された際にお笑いコンビの極楽とんぼと、『ラヂオの時間』(1999年頃放送)が放送された際に三谷幸喜監督が解説を担当したことがあった。その後、後述の『ゴールデンシアター』では関根勤も一度解説を勤めている。 番組のタイトルどおり映画専門の番組ではあるが、2000年11月25日に特別企画として「中国からの贈りもの 若者たち 私たちの留学生活 - 日本での日々〜」といったドキュメンタリー番組が放送されたこともあった。 この番組の系譜は、その後2001年10月6日から2003年9月27日までの2年間『ゴールデンシアター』として放送された後、『プレミアムステージ → 土曜プレミアム』へと受け継がれているが、こちらでは解説者は設けていない。また新番組では映画以外の作品を特別企画として放送することがあるほか、大作の場合には20:00頃から開始して、20:00頃のバラエティ番組を休止することもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴールデン洋画劇場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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