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サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン : ミニ英和和英辞書
サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン : ウィキペディア日本語版
サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン[ちょうおん]

サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン(, , Sayyīd Muhammad `Abd Allāh al-Hasan, Mohammed Abdullah Hassan、1856年4月7日 - 1920年12月21日)は20世紀初頭のソマリアでイギリスからの独立運動を起こした宗教家、政治家。サイイド・ムハンマドの独立運動は20年にもおよび、イギリスからは「狂気のムッラー(Mad Mullah)」と呼ばれた。ムハンマドの起こした独立運動はサイイド・ムハンマドの反乱、あるいはマッド・ムッラー運動と呼ばれている。
==家系と修行時代==
ムハンマドは1856年4月7日エチオピアオガデン地方のサマデークの谷(Sa'Madeeq)で生まれた。ソマリア北部キリット(Kirrit)の生まれとする説もある。
ソマリ族にとって家系は重要な意味を持つ。ムハンマドの曽祖父シャイフ・イスマン(Sheikh Ismaan)はソマリ族の大氏族ダロッドの支族であるオガデン族出身で、シェベリ川下流の町バルデ(Barde)に生まれた。イスマンは、シェベリ川上流の町ケラフォ(現エチオピア)に住んでいたが、後にジュバ川沿いの町バルデラに移り住んだ。ムハンマドの祖父ハサン・ヌール(Hasan Nur)はソマリア北東部(後のイギリス領ソマリランド東部〔岡倉登志「アフリカの歴史」、2001年、明石書店、ISBN 4-7503-1372-6、p.94〕)のダロッドの支族デュルバハンテ族の居住地区に移り住み、宗教関係施設をいくつか作り、礼拝を行った。
ムハンマドの父のアブディル(Abdille)シャイフとなった。アブディルはデュルバハンテ族の女数人と結婚し、子供を30人作った。ムハンマドの母チミロ・サデ(Timiro Sade)はデュルバハンテ族の支族アリ・ゲリ族の出身で、この氏族はオガデン族との関連も深かった。
ムハンマドは、アブディルの末子として生まれた。ムハンマドの家系はオガデン族バー・ゲリ族(Bah Geri)レールハマー(Reer Xamar)になるが〔E.J. Brill "Encyclopedia of Islam 1913-1936", 1927, ISBN 90-04-09796-1, p.667〕、デュルバハンテの遊牧民として育った。デュルバハンテの遊牧民はラクダウマの扱いがうまく、戦士としても優秀だった。ムハンマドは特に母方の祖父サデ・モガン(Sade Mogan)を敬愛した。ムハンマドは優秀な騎士となり、11歳にはクルアーンを暗誦してハーフィズと認められた。その後もムハンマドは宗教的研鑽を続け、19歳でシャイフの称号を得た〔。
1875年、ムハンマドの祖父が急死した。同じ年、ムハンマドはクルアーンの教師として働き始めた。2年後、さらなるイスラーム教の研究のために職を辞し、ハラール (エチオピア)モガディシュスーダンなどを巡った。ムハンマドが師とした者はソマリ族やアラブ人など72人に上る。1891年、ムハンマドは帰郷し、オガデン族の女性と結婚した。3年後、30歳となったムハンマドらはおじ2人を含む13家族と共にハッジ(巡礼)のためメッカに向かった。彼らは1年半メッカにとどまって、スーダン出身の神秘主義者モハメッド・サーリフ(Mohammed Salih)に学んだ。モハメッド・サーリフは「サーリヒーヤの教え」(Saalihiya)を授け、ムハンマドはこの影響を大きく受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン」の詳細全文を読む




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