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『誠のサイキック青年団』(まことのサイキックせいねんだん)は、朝日放送運営のABCラジオで毎週日曜深夜に放送されていたラジオ番組。1988年4月3日放送開始。最終放送日は2009年3月8日。略称は”サイキック”。 == 概要 == 番組開始時は『MAKOTOのサイキック青年団』であったがアルファベット表記の芸名から本名への改名を機に本番組名に変更。 ;テーマ曲 * オープニングテーマ - 1988年4月~6月 矢口博康『Gollila Onomotopoweia』、同年6月~2009年3月 Iggy Pop『Real Wild Child』 * エンディングテーマ - Lou Reed『Coney Island Baby』 公開イベントにおいては『Real Wild Child』と『Coney Island Baby』の2曲がOPとEDに使用されていた。 パーソナリティの北野誠と竹内義和が、世相から芸能、政治、経済、下ネタに至るまで幅広い分野の話題を取り上げトークを展開する大阪のラジオ番組。深夜だからこそ言える、大阪だからこそ言える本音トークが特徴の長寿番組であった。世の中の様々な事象について、何でも鵜呑みにせず斜に構え独特の視点と語り口で面白おかしく主観に基づく推論で断定(決め打ち)し、常識や原則からは説明し難く逸脱、又は偏差を起こしている対象に能動的なアプローチと解釈を試みつつ、看過しがちで瑣末で偏執的な事象についても"濃い"話題として深く掘り下げ、持論と笑いを交えて考察していた。番組は放送開始当初より「有害放送」「毒電波」「情報判断番組」と称し、ジングルにおいても「不快なら聴かなくていい」「嫌ならスイッチを切って寝なさい(深夜番組であるため)」というリスナーを突き放したスタンスを取っており、番組を聴取するにあたり「聴く側も一定のレベルを持って欲しい」とハードルを設け、番組の存在を快く思わない声には周波数を変えるように勧めていた。 :発端:北野のレギュラー番組だった『本気ナイトパフォーマンス』''(関西テレビ)''でホラーをテーマにした企画に竹内が評論家として出演。TVドラマのパロディを演じていた北野に瞠目していた竹内は収録が終わった休憩の際、当時、雑誌で執筆していた大映テレビが製作するドラマに関するコラムを北野に手渡し、互いに着眼点に共通するものを感じ意気投合。竹内の「秘密の部屋」と称する場所でプロレス、政治、芸能、アイドル、オカルト、特撮、猥談、大スポ、エマニエル坊や等、様々な話題で一日濃密な会話をして過ごし、同番組の骨子ともいうべき方向性が決まる。番組の打ち合わせ(らしきもの)はこの一回のみで、本放送の各収録において事前打ち合わせは行っていなかった。望む仕事にありつけず燻っていたABC新入社員の板井昭浩が新番組の立ち上げを企画し、北野に打診。北野が竹内に一緒にラジオ番組したい旨を明かし竹内も快諾する。 :契機:「秘密の部屋」での会話をそのまま番組に出来ないものかと考えた北野だったが、この時の竹内はまだ一般人に等しく、仕事を共にするにしても番組として成立するのか逡巡。ラジオ関係者や板井に竹内を紹介し、竹内は数本のレギュラー出演、担当と構成をこなし、「番組として成立する」と判断。板井が「潜在的アナーキーを有機化する」というロバート・フリップの発言を番組コンセプトの下敷きとして企画書を作成・提出し、新番組として承認された。 :開始:割り当てられた番組枠は笑福亭鶴瓶と新野新がパーソナリティを務める『ぬかるみの世界』''(ラジオ大阪)''の裏の枠であったが同番組が日曜深夜、関西ローカルの看板番組として成熟している今だからこそ、結果度外視で裏の枠で自分達なりに自由に喋ろう、聞いてくれる人は聞いてくれると計算し「一年続ける」という目標を立て北野、竹内、板井の3人体制で本放送スタート。放送初回、ヨタ話を軸にしたトークの内容に反応したリスナーの投書が番組宛に寄せられ、その反応に手ごたえを掴む。 :対策:スポンサーがつきにくい日曜深夜という時間枠という事もあり開始から暫くは提供無しで放送。アイドルの冠番組隆盛の当時、他番組や前番組のアイドルファンのリスナーらが周波数を変えない(合わせる)ようにと妄想や邪推、下世話で下卑た雑談はM1層を狙った上でF1層も取り込むという意図的な構成で、リスナーの投書に難癖、苦言、吊るし上げと投稿者と対立するトークも折り合わせて、狙い通り大量の「投書」が番組宛に寄せられる。目標だった1年間の放送を乗り切り、一定数の聴取者の取り込みの成功と並行して数人のスタッフやブレーンが本番組に加わる。 :終了:番組発足時のメンバー3人は当初から「3年も持たない」「5年も放送出来たら立派」と述べていたが、後に「内輪でサイキックが必要無いと判断した時点で番組終了」のスタンスに変化していった。2009年2月22日放送分で、同年3月29日での放送終了を告知。3月1日・8日の放送は行われたが、3月15日・22日・29日の放送は行われず、ラテ欄に「終」の表記をされないまま事前告知無しの予定より前倒しで番組終了。同年3月8日が放送最終回となった(後述参照)。結果的に放送期間20年11か月の長寿番組となった。 ;配信、聴取形態 『関西ローカル』と銘打った番組であるが、他の民放中波局が放送を停止している時間帯に放送されてきたことから、条件次第で遠距離受信も可能であったため、関西地区以外の深夜ラジオリスナーからも人気を集め、遠くは日本海側や九州、関東方面に至るまで数多くの番組リスナーがいた。かつては有線放送でABCラジオが広範囲において区域外再放送されていたこともあり、そちらを聴いていたリスナー〔大瀧詠一、小林よしのり、弘兼憲史、大友克洋、上田倫子等。〕も存在した。2000年代よりブロードバンドによる有料放送が開始され、聴取可能エリア外でもクリアな音声で楽しめるようになった。ただし、携帯電話を用いてのパスワードの取得が必要で、また著作権の関係上、CMとコーナーの間に挿入されるジングル及び『今週の一曲』はカットされていた。放送時間は途中幾度かの変更を経たが、番組終了時点では毎週日曜25:00 - 26:45の時間帯で落ち着いていた。元々は生放送であったが、2008年から北野が月曜の早朝に生放送で放送されている東京のテレビ番組に出演していた都合上、録音に切り替えた。収録日は毎週金曜に実施することが多かったため、録音放送では、時事ネタに若干対応しきれていなかったケースもあり、選挙結果についての話題を取り上げるか否かは、番組の収録が実施される日によるところが大きかった。聴取率は、1%を前後。同時間帯のFM局を含む他のラジオ番組制作者が本番組の内容と数字が伴っていない事に首を傾げるという風聞がパーソナリティの耳に入るという占有率の大きさであった。聴取率1.3%を出した回では板井が青ざめ、翌週の放送で0.7%に落ちた時は安堵するという逆の反応を見せていた。 この番組に対し好意的で熱狂的なリスナーのことを、番組では『サイキッカー』と呼んでいた。また、朝日放送が学生向けに配布する会社案内では「ABCラジオの『裏』看板番組」として紹介されていた。とはいえ、かつて番組でグッズを作る際に寄せられた複数の投稿によると、番組で取り上げる話題が瑣末で先鋭的なため、番組の指向に反感を持つに至った元サイキッカーも存在するため、自身がサイキッカーであることを積極的に公言する者は少なかった。しかし、パーソナリティたちは仕事で機会ある毎に有名人やテレビ番組のスタッフなどからサイキッカーであることを告白されるという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「誠のサイキック青年団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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