|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
サイバー・コング(1982年7月3日 - )は、日本の覆面レスラー。大阪府出身。DRAGON GATE所属。 日本人離れした肉体とパワーを持ち、入場時にはパイナップルを引き割くパフォーマンスを見せる。また筋肉を強調させるために、プラモデルの墨入れのように筋肉の割れ目に沿ってラインを引いている。 「C.コング」と表記されることもある。 == 経歴 == 学生時代はアームレスリングで学生王者になるなど活躍。2006年11月10日の長野大会で大野勇樹戦にてデビューし見事勝利を飾る。 暫くはアルティメット・サイバーズとして活動していたが、2007年1月26日の後楽園大会にてパートナーのサイバー・ギャングと共にマッスル・アウトローズに加入。3月25日の津市体育会館にて望月成晃とシングルマッチを行い、惜しくも敗れたが、望月の蹴りをすべて体で受け止める等と大健闘。この1戦を望月は『まだ半年もやっていないのに、あのキャリアで大したもん』と大絶賛した。その際、偽アメリカ人ということを暴露される。 当初はDRAGON GATE USAからやってきたアメリカ人というギミックだったが、突如関西弁を喋り日本人であることをカミングアウトする。4月17日の後楽園にてマッスルアウトローズを離脱。同時にアメリカから帰国した、鷹木信悟、YAMATO、タイフーンから離脱したB×Bハルクと共に新ユニットNEW HAZARDに加入した。 2007年10月26日の広島大会で当時三冠ヘビー級王者の佐々木健介とシングルマッチを行い敗れた。同年11月25日の大阪大会ではDRAGON GATEでも屈指のパワーファイター・マグニチュード岸和田とのシングルマッチを行ったが、こちらも敗れた。 2008年8月31日の博多大会で鷹木の持つオープン・ザ・ドリームゲート王座に初挑戦するが、敗北。 同年10月5日の博多大会にて土井成樹&吉野正人(通称:土井吉)の持つオープン・ザ・ツインゲート王座戦に勝利し、王座を獲得。 10月10日には、YAMATOと組んで鷹木信悟とハンディキャップ・ランバージャックマッチで対戦。この頃から谷嵜とアンソニーとの確執が始まる。 2009年11月15日、首の負傷と精神的不安定を理由にDRAGON GATEを退団。 2010年2月7日、DRAGON GATE公式サイトにて「本人の今後の状況を踏まえたうえで再契約を考慮する運び」と発表される。 2011年に望月成晃にBW対抗ユニットに誘われ加入するが、最初のシフトチェンジでDRAGAN KIDと入れ替わりでBWに加入。さらに吉野正人が発案した「なにわ式イリミネーションマッチ」のタイトルをかけた「ノンブレ・コントラ・ノンブレ ~ なにわ式イリミネーションマッチ ~」(ノンブレの意味は言葉)で勝利し、タイトルを「吉田式イリミネーションマッチ」にし、先攻後攻を決める方法を腕相撲にした。 8月21日、博多スターレーンで望月成晃の持つオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦するが、敗北。 10月16日、大阪府立体育会館・第一競技場で行われた「マスカラ・コントラ・カベジェラ 金網サバイバル6WAYマッチ」で初の金網に挑戦し、40分を超える死闘の末、最後に脱出。最後に残ったYAMATOを丸坊主にした。しかし、11月4日、後楽園ホールで行われた「Blood Warriors vs JUNCTION THREE 八木パン・サバイバル 敗者ユニット脱落マッチ」でYAMATOのスリーパーホールドにギブアップ。BWから追放され、スランプ状態に。 12月25日、福岡国際センターで佐々木健介と二度目のシングルマッチを行ったが敗れた。 2012年、望月成晃に「僕にプロレスを教えてください」と懇願する。望月はこれを承諾し共闘へと移っていくが、1月19日、後楽園ホールで行われた「Bloodwarriors vs JUNCTION THREE 敗者ユニット脱落マッチ」で裏切りBWに電撃加入。この時CIMAを裏切り追放した。 その後、戸澤陽らが結成したMAD BLANKEYに加入するも、誤爆や問題龍との確執でユニット内で亀裂が走り始める。 12月23日、オープン・ザ・ツインゲートに谷崎なおきと共に挑戦するが敗北し、MAD BLANKEYを追放される 年末最終戦(12月28日神戸サンボーホール)で行われた2012年最弱マッチ(2)にて富永と対戦し、三角絞めを決められた挙句レフェリーストップ裁定となり敗戦。ハリウッドストーカー市川に敗れた琴香と共に団体内最弱の称号を得てしまう。(年明け最初の大阪大会で、ダークマッチで琴香と対戦し、勝利したため、最最弱はまぬがれた形となった。) 同日、メイン終了後の土井吉のマイクパフォーマンス中に現れ、リングに上がりマイクを握ると、ファンの後押しで団体内最弱の称号を得ることができたと感謝のコメントを発し、更に唯一流出をしているオープン・ザ・お笑いゲートへの挑戦を表明。絶対に菊タローからベルトを取り戻すと宣言した。 なおこのマイクパフォーマンスは、サイバーコングのこれまでのイメージとかなりかけ離れた明るくはっちゃけたものだった為に、土井吉は半ば唖然とした表情で聞いていた。(吉野は『あいつこれまでで一番輝いていたんちゃうか』と感想のコメントをしている) その他自分を解説獣と名乗ってる。(実況で選手が試合の解説をするのでそれにちなんでのものと思われる。) 2013年8月にMAD BLANKEYがウーハー・ネイションを追放したことにより、出戻りという形で再加入。以後はヒールとして活動を続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サイバー・コング」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cyber Kong 」があります。 スポンサード リンク
|