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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
サイモン&ガーファンクル(, サイモンとガーファンクル)は、1960年代に活躍した、ユダヤ系アメリカ人のポール・サイモンとアート・ガーファンクルによるポピュラー音楽ユニット。 1964年にデビュー、1970年に活動停止。しかし、それ以後も折に触れて2人で活動している。1990年にロックの殿堂入りを果たした。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第40位。 == 略歴 == ニューヨークの小学校時代からの親友だった、ポールとアートは、1957年に「トム&ジェリー」を結成(ポールはジェリー・ランディス(Jerry Landis)、アートはトム・グラフ(Tom Graph)という芸名を使用)し、デビュー曲「ヘイ・スクールガール(Hey, Schoolgirl)」を小ヒットさせた。その後、2人は大学での学業に専念するが、1963年に再びコンビを組み、1964年にグループ名をサイモン&ガーファンクルと改めて、アルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning,3A.M.)』でデビューした。 しかし、発売初年度の売上が3,000枚と惨憺たるものであったので、ポールはヨーロッパ放浪の旅へ出てしまい、アートもデビュー前に通っていた大学院へと戻ってしまったが、プロデューサーのトム・ウィルソンが、アルバム収録曲『サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)』にエレキギターやドラムなどを加えてシングル発売したところ、これが大ヒット。サイモン&ガーファンクルは、一躍人気フォークロック・デュオとなる。 なお、『キャシーの歌(Kathy's Song)』は、ポールがイギリスに長期滞在していた際に交際していたガールフレンドに贈った曲である。キャシーは、ポールが歌っていたパブで券もぎ係りをしていた女性であった。また、『アメリカ (America)』の歌詞で触れているKathyと同一人物で、2人でアメリカ旅行に出掛けた際に書いたとされている。ポールのアルバム『ポールサイモン・ソングブック(Paul Simon Song Book)』に、若かりし頃のポールとキャシーが写っている。 その後も、ポールの作り出す哲学的・思索的な深い内容の詞・曲とアートの美しい歌声、そして2人の絶妙なハーモニーが受けて『スカボロー・フェア/詠唱(Scarborough Fair/Canticle)』『ミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)』などが大ヒット。1967年に映画『卒業』(日本公開は1968年)の音楽を担当し、映画の成功と共に劇中歌『サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)』が大ヒットし、日本をはじめ世界的にも大きな成功を収めた。当時は「サイモンとガーファンクル」と表記されていた。 だが、1970年発表のアルバム『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』の制作中に、ポールとアートの音楽に対する意見の違いが表面化した。『明日に架ける橋』は、全世界で売上が1,000万枚を超える大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀アルバム賞を受賞したものの、このアルバムを最後に2人はそれぞれのソロ活動に入った。 1972年6月14日、民主党大統領候補ジョージ・マクガヴァン支援コンサートに揃って登場し「スカボロ・フェア」、「ザ・ボクサー」、「明日に架ける橋」などを歌った。 1975年には『マイ・リトル・タウン(My Little Town)』をS&Gで録音し、それぞれのソロ・アルバム(ポール『時の流れに』、アート『愛への旅立ち』)に収録しているほか、1978年にアートが発表した『ウォーターマーク(Watermark)』に収録されている「(What A) Wonderful World(同:ワンダフル・ワールド)」では、ジェームス・テイラーと共にギターとボーカルでポールも参加しており、透明感あふれる3人のハーモニーを披露している。 1981年9月19日には、ニューヨークのセントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開いて53万人もの観衆を動員し、世界ツアーを行った(1982年にはS&Gとして初来日し、後楽園球場と大阪球場でコンサートを行っている)。この時、ポールの作品にアートが参加する形でアルバム制作が行われたが、作品に対する意見の食い違いから、結局ポールのソロ・アルバム(『ハーツ・アンド・ボーンズ』)としてリリースされた。このアルバムに収録された曲のいくつかは、アートも録音に参加し、発売直前まで完成していた。その後、2人の間は疎遠になっていった(ポールが、2003年にソロとしてロックの殿堂入りした際に、わざわざ「ガーファンクルとは仲直りしたい」とスピーチで述べているほど、2人の関係は冷え切っていた)。しかし、この疎遠な関係はあくまで音楽家としてであり、音楽を離れたプライベートでは、一緒にスイスへスキー旅行へ行くなど、旧友としての親交はその間も続いていたと言われている。 近年は1993年、2003年と度々再結成を行い、全米ツアーなどを行っている。1993年12月1日には「Event of a lifetime Tour」の東京公演・福岡公演としてそれぞれ東京ドームと福岡ドームで再来日公演を行なった。この際、南こうせつが前座を務めた。2009年7月には16年ぶりの来日公演を行い、約15万人を動員する成功を収めた。2人の年齢からして最後の来日公演となるのではと言われている。ポール本人も「2人とも年齢の事もあるし」と、今回の再結成が最後になることを示唆した発言をしている。その一方で、2015年5月にはアートがインタビューでポールの事を「馬鹿者」と言いながらも、再始動を望んでいることを明らかにしている。 また、彼らの作品は多くのミュージシャンにカヴァーされ、歌い継がれている。例えばエルヴィス・プレスリーは、1970年以降のライヴで頻繁に「明日に架ける橋」を取り上げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サイモン&ガーファンクル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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