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サイラス・シモンズ(、1895年10月14日〔生誕年を1897年11月とする説もある。〕 - 2006年10月29日)は、1910年代から1920年代にアメリカ合衆国のニグロリーグで活躍していた野球選手。主なポジションは投手、外野手。左投げ。デラウェア州ミドルタウン生まれ。プロ野球選手としては最高齢となる111歳まで生きた人物である。 == 来歴・人物 == シモンズは少年期をフィラデルフィアですごし、街の広場でよくスティックボールで遊んでいた野球好きの少年だった。1912年、17歳の時に地元にあったジャーマンタウン・ブルーリボンズというセミプロチームに入団し野球を始めた。当時1試合投げるごとに10ドル前後の報酬をもらう、という契約で投げていたそうである。シモンズは体格に恵まれていたわけではなかったが、「カーブと直球は充分通用していた」と本人が語っているように、速球と変化球のコンビネーションを主体とする投球スタイルだったようである。また当時の報道によれば、「1ゲームの中で1本か2本のヒットを打たれる間に、10以上の三振をコンスタントに取れる」と評され、奪三振率がかなり高い投手だったことが推察される。 ニグロリーグには少なくとも1929年頃まで出場していたことがわかっているが、現役中の経歴については断片的にしかわかっていない。スポーツ記事などから、シモンズの経歴について判明しているのは以下のような事柄である。 *1913年にホームステッド・グレイズの一員であったこと。 *1915年6月26日、ブルーリボンズがブロードストリート・ステーションの野球チームに12-0で勝利した試合で、16三振を奪う好投を見せたこと。 *1915年9月15日にブルーリボンズが行った試合で好投したこと。 *1910年代後半に第一次世界大戦で従軍し、火薬の搬送を行っていたこと。 *1926年、ニューヨーク・リンカーン・ジャイアンツで救援投手として試合に出ていたこと。 *1929年、キューバン・スターズから試合に出ていたこと。 また所属したチームに関しても、球歴の中でいくつも球団を渡り歩いていたらしく、全て判明しているわけではない。本人の証言に基づけば、彼は当時のニグロリーグにおける何人かの名選手(ジョン・ヘンリー・ロイド、ビズ・マッキー、ジュディ・ジョンソンなど)と同じチームに所属していた、ということがわかっている程度である。また自ら選手として試合に出る一方で、シモンズは暇を見つけてはメジャーリーグの試合をよく見に行っていたという。 野球選手を引退した後、第二次世界大戦にも弾薬の搬送係として再度従軍し、戦後は一時期ニュージャージー州のデパートで課長補佐をしていた。この頃、ドジャーズと契約する前のジャッキー・ロビンソンとも一緒に食事を取ったことがあったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サイラス・シモンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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