翻訳と辞書
Words near each other
・ サイード・ハサン・ヘワドパル
・ サイード・パシャ
・ サイード・ビジネススクール
・ サイード・ビジネス・スクール
・ サイード・ビン・スルール
・ サイード・ペルヴェス・カムバクシュ
・ サイード・マルーフ
・ サイード・ムスタファ・カゼミ
・ サイード・ムルジャン
・ サイード・ムルジャーン
サイード・モハマッド・グリャブゾイ
・ サイード・モハマッド・ハサン
・ サイード・ラシッド・アル・クバイシ
・ サイード人
・ サイード横田仁奈
・ サイード=マゴメド・カキエフ
・ サイーブ・アシュマン
・ サイ亜目
・ サイ布駅
・ サイ所元常


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サイード・モハマッド・グリャブゾイ : ミニ英和和英辞書
サイード・モハマッド・グリャブゾイ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

サイード・モハマッド・グリャブゾイ ( リダイレクト:サイイド・ムハンマド・グラーブズイ ) : ウィキペディア日本語版
サイイド・ムハンマド・グラーブズイ[ちょうおん]
サイイド・ムハンマド・グラーブズイ(سيد محمد ګلاب زوي、Sayed Muhammad Gulabzoi、1951年 - )は、アフガニスタンの政治家、軍人。少将。バブラク・カールマル政権で内務相を務めた。現在、アフガニスタンの国会議員。
==経歴==
パクティヤー州出身。パシュトゥーン人。父グリャム・シャーは、グラーブズイ部族の長。カーブル市のナーディル・シャー学校、アフガニスタン空軍士官学校を卒業。
1966年、マザーリシャリーフ市のアフガニスタン空軍輸送機連隊、1968年、カブール市のアフガニスタン空軍輸送機連隊に勤務。1968年からアフガニスタン人民民主党、ハルク派。
1973年、ムハンマド・ダーウードのクーデターに参加し、将官の逮捕に従事した。アフガニスタン空軍司令官副官。1976年10月~1977年3月、ソ連空軍飛行士特技向上航空課程研修。
1978年4月、四月革命に参加し、政府軍との戦闘で負傷した。同年、革命軍事会議議員、軍内の党業務組織委員会委員となり、ヌール・ムハンマド・タラキーの側近となった。1978年7月、通信相。1979年、内務相。1979年9月14日、タラキーがハフィーズッラー・アミーンに打倒されると、地下に潜伏した。
*1980年1月11日~1988年 – 内務相
*1980年~ – アフガニスタン人民民主党中央委員会委員
*1987年~1988年10月 – アフガニスタン人民民主党政治局員
*1988年11月25日~1990年 - 駐ソ連・フィンランドルーマニア大使
1990年3月、シャフナワーズ・タナイ将軍の反乱への関与で起訴され、罷免されたが、帰国を拒否した。1990年代、モスクワに転居。
2005年、アフガニスタン議会代議員。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サイイド・ムハンマド・グラーブズイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sayed Mohammad Gulabzoy 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.