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サウスヴィグラスとは日本で活躍したアメリカ産の元競走馬(外国産馬)で、現在は種牡馬である。 エンドスウィープ初期の代表産駒で2002年 - 2003年にかけてのダート短距離路線で活躍し、GIを含む8つのダート短距離重賞を制覇した。おもな戦績に2003年のJBCスプリント(統一GI)がある。主戦騎手は柴田善臣。 == 競走戦績 == 1998年のデビュー以降ダートの短距離を中心に出走し、2001年2月の橿原ステークスを制してオープン入りし、2001年末までに22戦8勝2着6回という成績を収めた。ここまでの勝ち星はすべてダートの1200m戦で挙げたもので、1400m戦では7戦7敗、1600m戦の武蔵野ステークスでは14着とダート戦で唯一の二桁着順を経験している。 2002年、6歳になってサウスヴィグラスは本格化する。年明け初戦のガーネットステークスこそブロードアピールの2着と敗れるが、続く根岸ステークスでは前年のフェブラリーステークス優勝馬ノボトゥルーを退け重賞初制覇、初めて1400m戦を克服した。続くフェブラリーステークスでも1600m戦・GI初挑戦ながら6着に粘り込み、得意のスプリント戦に戻るや黒船賞で前年のJBCスプリント優勝馬ノボジャックに1.6秒差を付け快勝、続くかきつばた記念・北海道スプリントカップ・クラスターカップでは、それぞれコースレコード・日本レコード・コースレコードと強さを見せつけた。 その後に骨折が判明したため目標であったJBCスプリントへの出走は叶わず休養に入った。サウスヴィグラス不在で行われた同年のJBCスプリントはサウスヴィグラスが連勝中に破ってきた馬たちが上位1着-4着を独占した。 骨折から復帰した翌2003年には、根岸S(この年は中山開催)と北海道スプリントカップをいずれも休み明けとなりながら連覇。北海道スプリントカップ後にも軽度の骨折が判明し、またも休み明けとなった東京盃ではハタノアドニスの2着に敗れて連勝を6で止めたが、引退レースとなったJBCスプリントではマイネルセレクトの猛追をハナ差しのいで優勝、GI制覇を成し遂げるとともに、当時ホクトベガが持っていたグレード制導入以降の中央競馬所属馬による通算最多勝利記録に並んだ。本馬が優勝した第3回JBCスプリントには第1回と第2回のJBCスプリント優勝馬に加え、第4回を制することとなるマイネルセレクトや第5回JBCスプリントで2着・3着になる馬などが出走していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サウスヴィグラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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