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グルジア(, Gruziya)は、南コーカサスに位置する共和制国家である。公用語のグルジア語(カルトリ語)による国名はサカルトヴェロ(, Sakartvelo)。日本国政府は2015年4月22日からジョージア()へ呼称を変更している(詳細は後述)〔日本国外務省「国名呼称の変更(グルジア) 」〕。首都はトビリシ。 東ヨーロッパに含められることもある。ソビエト連邦の構成国であったが1991年に独立した。南オセチアとアブハジアの2地域が事実上の独立状態となっており、ロシアなど一部の国から国家承認を受けている。中央部のゴリは旧ソビエト連邦の最高指導者であったヨシフ・スターリンの出身地である。 コーカサス山脈の南麓、黒海の東岸にあたる。北側にロシア、南側にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンと隣接する。古来数多くの民族が行き交う交通の要衝であり、幾たびもの他民族支配にさらされる地にありながら、キリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。また、温暖な気候を利用したワイン生産の盛んな国としても知られる。 ロシア帝国とその後に成立したソビエト連邦の支配が長く続いたことから、独立後はロシアとの対立路線を取ることが多い。1997年にはウクライナの呼び掛けに応じてアゼルバイジャン・モルドバと共にGUAMを結成し、2009年には独立国家共同体 (CIS) を脱退した。 == 国名 == 旧ソ連からの独立直前であった1990年から1995年までは「グルジア共和国」()を正式な国名としていた。1995年に対外的な呼称から「共和国」を外し、英語名はジョージア (, )、日本語ではグルジアと(稀にグルジヤとも)表記されていた。 グルジア語(カルトリ語)では、(ラテン文字転写:''Sakartvelo'')という。サカルトヴェロとは「カルトリ人の国」という意味で、この「カルトリ」とはグルジア最古の文学作品『聖シュシャニクの殉教』(5世紀)にもみられるグルジア中心地域の古くからの名称である〔。 日本語名として使われていた「グルジア」はロシア語名( グルーズィヤ)に基づいており、これは英語名のと同じく、中世にペルシャ語で使われていた「グルジュ・グルジャーン」という呼称がアラビア語などを経由して十字軍時代にヨーロッパに紹介されたのが由来とされる。スラヴ語圏でも13世紀ごろからこのグルジュに由来する呼称が見られるようになり、その後、キリスト教国であるグルジアの守護聖人・聖ゲオルギオスの名に結びつけられていった〔。 なおグルジアを意味する英語やフランス語のなどは、グルジアのほかにアメリカ合衆国(米国)のジョージア州とスペルおよび発音も同一である。首都のトビリシは、米国・ジョージア州の州都であるアトランタと1987年に姉妹都市関係を締結している〔駐日グルジア大使館「グルジア5都市による姉妹都市提携の希望」 (外務省)〕。 2009年3月、グルジア政府は、日本語における同国の国名表記をロシア語表記から英語表記に基づく「ジョージア」への変更(2008年のグルジア紛争による反露感情の高まりが背景にあると報道されている〔「グルジア」改め「ジョージア」 政府、表記変更へ 朝日新聞 2014年10月24日〕)を要請した〔日本政府には「日本における各国公館の名称変更はクーデターなどによる国名変更時など特別な場合以外認められない」という原則があり、過去にローマ法王庁が「教皇庁」への表記変更を申請するも認められなかった。''教皇#日本語および各国語での呼称 を参照''〕〔グルジア、国名を英語読み「ジョージア」と呼ぶよう世界に要請 ロシアの声 2014年10月8日〕。2014年10月24日に、安倍晋三総理大臣は、マルグヴェラシヴィリ大統領との共同記者会見の場において、日本政府としてこの要請に応じることを表明。これに伴い在外公館名称を変更するための法改正案が翌2015年の通常国会に提出され、衆参両院の全会一致で可決〔閣法 第189回国会 11 在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案 衆議院〕〔在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案 参議院〕・成立し、4月22日に官報で改正法が公布〔平成27年4月22日付(官報号外 第92号) 〕・施行され、同日外務省ホームページに改名の告知がされた〔。 漢字表記には、具琉耳(「グルジア」に由来)と喬治亜(「ジョージア」に由来)がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グルジア」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Georgia (country) 」があります。 スポンサード リンク
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