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サクラシンゲキ : ミニ英和和英辞書
サクラシンゲキ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


サクラシンゲキ : ウィキペディア日本語版
サクラシンゲキ

サクラシンゲキとは、日本競走馬種牡馬である。典型的な逃げ馬で逃げ一辺倒の戦法の個性派として人気があった。そのレーススタイルから日の丸特攻隊というニックネームがつけられた。1981年優駿賞スプリンター賞を受賞。
すぐ下の半妹にあたるサクラスマイルは1981年のエリザベス女王杯に3着し、サクラショウリとの間にサクラスターオーを送り出したが、スターオー1頭のみを残して死亡した。また、1986年天皇賞(秋)の優勝馬であり、種牡馬としても大成功を収めたサクラユタカオーはサクラシンゲキの半弟である。
馬齢は全て旧表記(数え年)にて表記する。
== 戦績 ==
「サクラ」の冠名境勝太郎厩舎・主戦騎手小島太は、馴染みあるの組み合わせであった。ただ、3歳から4歳春クラシック前までは境厩舎所属の東信二が騎乗していた。その後は小島が主戦となったが、数回ほど東も騎乗した。
1979年の夏に函館競馬場でデビューし3歳時は3戦3勝、いずれも逃げ切りで勝利した。
4歳になってクラシック制覇も期待されるも、弥生賞で6着、皐月賞は不良馬場の影響か10着と大敗、日本ダービーでは逃げ粘るも4着に敗れた。秋になって京王杯オータムハンデを逃げ切って重賞初勝利をあげた。続いてセントライト記念に出走したが5着となって、距離が伸びる菊花賞には出走せず、関東の短中距離重賞路線に参戦することとなった。4歳で有馬記念に出走して10着に敗れた。
5歳になってスプリンターズステークスや京王杯オータムハンデなどを勝利して、短距離路線の関東馬の大将格となった。そしてこの年に新設されたジャパンカップに日本馬代表の一頭として出走することとなった。ジャパンカップでは人気薄のなか直線半ばまで逃げ粘ったものの9着、その後2年連続で有馬記念に出走するも15着に敗れた。
6歳になって、スプリンターズステークス、マイラーズカップと2戦連続で2着となったあと、宝塚記念に出走して8着に敗れ、宝塚記念を最後に現役を引退した。
サクラシンゲキの活躍した時期はグレード制や、短距離路線が整備される前の時代で、これらの整備が始まったのは引退して2年後の1984年からであった。小島も「あと数年生まれるのが遅かったら、シンゲキは間違いなくGIを取っていたと思う」と後年語っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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