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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アブー・アル=アッバース・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アッ=サッファーフ(、Abu al-`Abbās `Abdu'llāh ibn Muhammad as-Saffāḥ、722年〔嶋田「アブー・アル・アッバース」『世界伝記大事典 世界編』1巻、136-137頁〕〔前嶋『イスラムの時代』、167-170頁〕/23年?〔森本「サッファーフ」『新イスラム事典』、238頁〕 - 754年6月〔〔)は、アッバース朝の初代カリフ(在位:749年/50年 - 754年)。 通称(クンヤ)はアブー・アル=アッバース(Abu al-`Abbās)。称号(ラカブ)のサッファーフ(as-Saffāḥ)は「惜しみなく注ぐ者」「財を与える者」を意味し、即位の時に行ったフトバ(説教)に由来する〔〔佐藤『イスラーム世界の興隆』、126-133頁〕。また、サッファーフという言葉には「血を流す者」という意味もあり、サッファーフが大規模な粛清を行ったこと〔屋形禎亮、佐藤次高『西アジア』上(地域からの世界史, 朝日新聞社, 1993年6月)、112頁〕、ウマイヤ家の残党狩りに熱心だったことから〔〔高野「サッファーフ」『岩波イスラーム辞典』、401頁〕、そうしたラカブが付けられたとする説もある。 即位後にサッファーフは内外の敵から勝利を収め、跡を継いだ兄マンスールによる国家体制構築の基盤を作り上げた〔。しかし、国家は安定した状態に置かれていたとは言い難く、北方の領土はしばしばビザンツ帝国(東ローマ帝国)の攻撃に晒されていた〔アリ『回教史』、185頁〕。 == 生涯 == === 即位前 === アブー・アル=アッバースは、アッバース家の家長ムハンマド・イブン・アリー・イブン・アブドゥッラーフと、ハーリス家のライタ・ビント・ウバイドゥッラーの子としてヨルダン南部のフマイマ村で誕生した〔。アブー・アル=アッバースの前半生は不明確である〔。 743年にムハンマド・イブン・アリー・イブン・アブドゥッラーフは没し、彼の跡を継いだ長子でアブー・アル=アッバースの兄にあたるイブラーヒームはウマイヤ朝打倒の運動を開始した〔。ホラーサーン地方に派遣されたダーイー(宣教師)のアブー・ムスリムは現地で蜂起し、ホラサーニーと呼ばれる軍隊を率いてイラクに向けて進軍した。748年にウマイヤ朝によってイブラーヒームが投獄された後、アブー・アル=アッバースは兄のアブー・ジャアファルをはじめとする親族とともにイラクのクーファに避難する〔アッティクタカー『アルファフリー』1、285頁〕。 749年9月にホラーサーンの革命軍はクーファに入城し、誰が新しいイマーム(指導者)となるかが問題になる〔。シーア派の要人アブー・サラマはシーア派の人物をカリフに選出することを望んだが、アブー・サラマらホラーサーンの革命軍はアブー・サラマに先んじてアブー・アル=アッバースをカリフに推戴してバイア(忠誠の誓い)を行い、アブー・サラマもやむなくアブー・アル=アッバースの即位を認める〔。アブー・アル=アッバースの即位の経緯については、四代目正統カリフ・アリーが伝えた「黄色の書」にまつわる異説がある〔高野『マンスール』、18頁〕。アブー・アル=アッバースの父ムハンマドが保管していた「黄色の書」にはアッバース革命における出来事が正確に予言され、クーファ制圧後に「黄色の書」を確認した将軍ハサン・ブン・カフタバは、初代カリフとなる人物が持つ「カリフの徴」をアブー・アル=アッバースの背中に見つけたため、ただちにバイアが行われたといわれている〔高野『マンスール』、18,20頁〕。「黄色の書」にまつわる逸話はアブー・アル=アッバースを預言者ムハンマドになぞらえるための後世の創作であり、アッバース革命が武力による簒奪ではなく神の意思に基づいたものと仄めかす意図があったと考えられている〔高野『マンスール』、20頁〕。 11月28日、アブー・アル=アッバースはクーファの金曜礼拝で行ったフトバ(説教)で革命に協力した人間に褒賞を約束し、フトバの中で自らを「サッファーフ」と称した〔〔高野『マンスール』、17-18頁〕。長幼の序列がないイスラームの戒律では相続などの法的場面において兄弟は平等に扱われ〔高野『マンスール』、17頁〕、兄のアブー・ジャアファルがベルベル人の女奴隷を母に持つためにアブー・アル=アッバースがカリフに選ばれたと考えられている〔〔〔〔。また、アブー・ムスリムらが剛毅なアブー・ジャアファルよりもアブー・アル=アッバースの方が制御しやすいと判断したために、彼をカリフに選出されたと推測する意見もある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サッファーフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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