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サッポロビール博物館 : ミニ英和和英辞書
サッポロビール博物館[さっぽろびーるはくぶつかん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive
博物 : [はくぶつ]
 【名詞】 1. wide learning 2. natural history 
博物館 : [はくぶつかん]
 【名詞】 1. museum 
: [もの]
 【名詞】 1. thing 2. object 
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin

サッポロビール博物館 : ウィキペディア日本語版
サッポロビール博物館[さっぽろびーるはくぶつかん]

サッポロビール博物館(サッポロビールはくぶつかん)は、北海道札幌市東区北7条東9丁目1番1号、サッポロガーデンパーク内に位置する博物館。
日本で唯一のビール博物館であり、北海道遺産の一つにも指定されている。
1987年(昭和62年)7月1日開館〔、もともとは1890年(明治22年)に札幌製糖会社の工場として建設された赤レンガの建造物を利用したもの。
建物にはサッポロビール園が併設されている。
== 歴史 ==
サッポロビール博物館の歴史は、お雇い外国人として北海道を訪れたウィリアム・スミス・クラークによるテンサイの栽培や、北海道開拓使により札幌にビール醸造所が設立された明治時代へとさかのぼる。クラークはマサチューセッツ農科大学の第3代学長に就任。その当時大学は全米屈指のテンサイ製糖技術を持っており、クラークもテンサイの栽培を北海道へ定着させようという希望があった。クラークの帰国後、開拓使は北海道内でのテンサイの導入に着手。現在は函館市となっている七重村にて、北海道内では初のテンサイ試験栽培を行った〔独立行政法人農畜産業振興機構、お砂糖豆知識、1999年2月 〕。
その後開拓使は1878年(明治10年)、現在の北海道大学の前身・札幌農学校へテンサイの栽培を委託し、1879年(明治11年)に現在の伊達市に当たる紋鼈(もんべつ)へ紋鼈製糖所を建設するなどした。その後製糖所は民間へ払下げとなり紋鼈製糖株式会社が設立、これを受けた札幌市は苗穂村へ製糖工場を建設することを決め、1888年(明治20年)に札幌製糖株式会社が創立された。会社はテンサイ糖の工場として1890年(明治22年)に外国人技師たちの指導を仰ぎ、テンサイ糖の工場として建設された〔独立行政法人農畜産業振興機構、お砂糖豆知識、1999年2月 〕。
これが現在も博物館・ビール園として機能している建物である。設計には北海道庁の建築課のほか、基本設計にドイツにあるサンガーハウゼン社が担当にあたっている。
一方、1876年(明治8年)9月23日、開拓使麦酒醸造所が現在サッポロファクトリーが立っている場所に設立された。これには北海道へ麦酒醸造所の建設を主張した村橋久成が事業責任者に、ドイツ・ベルリンビール醸造所でビールの醸造技術を学んだ中川清兵衛が主任技師に選出された。醸造所の開業式も行われ、表面に文字を描いたビールが建物の前へ積み上げられた。これは現在、復元されて博物館に併設されている。
1886年(明治18年)に開拓使麦酒醸造所は大倉組商会へと払い下げを受け「麦酒醸造場」へ名称を変更。1887年(明治19年)12月浅野総一郎渋沢栄一らがこれを買い取り、札幌麦酒会社を設立した。これは現在のサッポロビール株式会社の前身である〔サッポロビール株式会社、サッポロビールの歩み 〕。まもなくして、日清戦争1895年に終結し、台湾による製糖業が普及すると日本のテンサイ製糖業は衰退。札幌製糖株式会社のテンサイ糖工場も解散となるが、札幌麦酒会社が1903年(明治35年)にこれを買収。建物に増改築を施し、製麦工場として運用した。
工場は1965年(昭和40年)まで操業が行われた。終了後、1967年(昭和42年)に建物3階部分へ「開拓使麦酒記念館」を開設し、工場で実際に使用した歴史資料や器具、文献の展示を開始する。
その後建物に改修を施し、1987年(昭和62年)7月1日に「サッポロビール博物館」として正式に開館〔。
サッポロビール北海道工場が恵庭市へ移転して2003年(平成15年)3月に当地に在ったサッポロビール札幌工場が閉鎖〔“日本ビール史ここに 来年3月閉鎖のサッポロ札幌工場 先人の労苦見つめ126年”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年9月19日)〕された後も存続することになった〔“サッポロビール札幌工場閉鎖へ ホロ苦“ビールの街” 「市民として寂しい」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年9月3日)〕ことから改修工事を行い〔“巨大釜宙づり ビール博物館改修作業進む”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年10月31日)〕、2004年(平成16年)12月12日には新装開館した〔“サッポロビール博物館が新装 きょう開館 「原点」の歴史 五感に訴える”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年12月12日)〕。
サッポロビール博物館は1996年(平成8年)、当時の文化庁より国の重要文化財に指定する話が持ち込まれた。しかし、文化財の指定を受けると、建物内外の設備や施設を改装するのに国の許可が必要となるため、訪れる人々へ臨機応変な改造を行うことが難しくなることを考慮し、重要文化財の指定を辞退した〔YOMIURI ONLINE お宝散歩 2003年1月7日 〕。2004年(平成16年)10月22日公表の北海道遺産第2回選定分に際し、北海道鉄道技術館、福山醸造株式会社、雪印乳業資料館と共に、「札幌苗穂地区の工場・記念館群」として北海道遺産の指定を受けた。
2007年(平成19年)には、第17回BELCA賞ロングライフ部で1987年(昭和62年)および2004年(平成16年)の改修が評価されて受賞した〔ロングライフビル推進協会 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サッポロビール博物館」の詳細全文を読む




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