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サノク : ウィキペディア日本語版
サノク

サノク(、、、、)は、ポーランド南東部にある町。人口は2009年6月2日の時点で3万9110人。小ポーランド地方の一部で、ルーシ県(1340年 - 1772年)、クロスノ県(1975年 - 1998年)を経て1998年からはポトカルパチェ県に属し、サノク郡の郡庁所在地でもある。
旧市街は山城のふもとのサン川のほとりに位置し、丘陵地にはウストジキ・ドルネからヴァドヴィツェまでポーランド南部を340kmにわたり横断する国道28号線が通る。ポグセ丘陵の中心地で、標高は300mであるが、市内にも丘が数箇所ある。
== 考古学 ==

ポーランド南東部、現在のポトカルパチェ県地方には有史以前から人類が住み着いていたが、先ローマ期からケルトゴートヴァンダルなどさまざまな民族の侵略を受けてきた。ポーランド南東部の大部分を支配したローマ帝国が崩壊するとモラヴィア王国の支配下となったが、土着のレンディア人はハンガリーがモラヴィア王国の中心部に迫った899年ごろにハンガリー王国への忠誠を誓った。遅くとも9世紀にはポーランド、キエフ大公国、ハンガリーの三つ巴の覇権争いが起こった。
現在のサノク一帯の村落跡は9世紀にまでさかのぼる。10世紀にスラブの城下町(ゴルド)が設立され、当初は異教礼拝の中心地の役割を果たした。地名の由来ははっきりしておらず、トレプチャとの間にある「ファイカの丘」の要塞跡からケルトの遺物が発掘されていることからサン川〔"Puisqu'il est impossible de les enumerer tous citons moins: Brda, Brenna, Bzura, Drwęca, Mroga, Nida, Raba, San, etc. Bzura selon Jan Rozwadowski correspond avec Brigulos, Drwęca aves Druentia, Durance, Nida avec Nidder, Raba avec Raab, San avec Sadne et Sein." Ethnologia Polona. Instytut Historii Kultury Materialnej (Polska Akademia Nauk). 1981. p. 49.〕,〔" San (lateinische Graphie wie bei Sandomierz, Santok usw. Vgl. altind. sindhu- "Fluß", den irischen GN ''Shannon'' und den Maizzufluß ''Sinn''" Irena Kwilecka. Etnolingwistyczne i kulturowe związki Słowian z Germanami. Instytut Słowianoznawstwa PAN. 1987. ISBN 8304024721 S. 64.〕;〔"An adouci en san, ''eau'', ''rivière''; stach, sinueux, qui tourne. Allusion au cours sinueux de la Charente". ''op. cit.'' Antiq. de France. Revue des ëtudes historiques. Société des études historiques. 1835. p.242.; Senne, nom propre de rivière. - Scène, ». L liou on l'on joue. — Seine, sf, sorte de «lot. 17. Cen», sm, impôt. — ''San'', np ''Sen''», sm, jugement ". Dictionnaire de pédagogie et d'instruction primaire. Ferdinand Edouard Buisson. 1883. p. 980.〕のケルト名から来たのではないかと多くの学者は見ているが、この要塞は早くとも9世紀の建造である。丘には最初期の街もあったことから、キエフ風の装飾が施された古代の寺院や共同墓地の跡、12世紀後半に活躍したキエフ大公ルーリク・ロスティスラヴィチの2つの印章も見つかっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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