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サビノ・バリナガ : ウィキペディア日本語版
サビノ・バリナガ

サビノ・バリナガ・アルベルディ(, 1922年8月15日 - 1988年3月19日)は、スペインビスカヤ県ドゥランゴ出身の元サッカー選手。ポジションはFW
== 経歴 ==
バスク地方ビスカヤ県出身のバリナガは、スペイン内戦が始まった直後にイングランドへと移った。そこでサッカーを始め、1938年にサウサンプトンFCのユースチームに加入。リザーブチームでは、1シーズンで62得点を挙げた。
スペインに戻ったバリナガは、バスクに本拠地を置くアスレティック・ビルバオの入団テストに合格する。しかし、オファー内容に納得のいかなかったバリナガはレアル・マドリードへ移籍した。レアル・バリャドリードへのレンタル移籍を挟んで1950年までプレー。1947年12月14日、CFベレネンセス戦にてエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでのクラブ初得点を記録した。
その後、レアル・ソシエダへ移籍。1954年にレアル・ベティスで引退した。
引退後は指導者としての道を歩み、引退翌年にはベティスの監督に就任。その後もスペインなどのクラブで指揮を執ったほか、1968年から1969年、1971年から1972年にはそれぞれナイジェリア代表モロッコ代表の監督を務めた。
1988年3月19日、心臓病のためマドリードにて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サビノ・バリナガ」の詳細全文を読む




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