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サビーネ・リシツキ : ミニ英和和英辞書
サビーネ・リシツキ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

サビーネ・リシツキ ( リダイレクト:ザビーネ・リシキ ) : ウィキペディア日本語版
ザビーネ・リシキ[ちょうおん]

ザビーネ・リシキSabine Lisicki, 1989年9月22日 - )は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州トロースドルフ出身の女子プロテニス選手。2013年ウィンブルドン女子シングルスで準優勝した選手である。これまでにWTAツアーでシングルス4勝、ダブルス4勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス35位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。本来のポーランド語の発音では「リシツキ」で、語源は「キツネ」(lis、読みは「リス」)。
== 来歴 ==
リシキは、ポーランドから西ドイツに移住した両親 - 父親は歴史家、母親は芸術家Ein bisschen Steffi Graf 〕の元に生まれ、父親の手ほどきで7歳からテニスを始めた。なお、父親はドイツ移住後にテニスコーチをしながらケルンのドイツスポーツ大学に通学し、後にはポーランドのヴロツワフで博士号も取得している〔。2006年にプロ入り。2008年全豪オープン4大大会に初出場。予選3試合を勝ち抜いた彼女は、本戦1回戦でディナラ・サフィナロシア)を 7-6, 4-6, 6-2 で破る勝利を挙げ、一気にキャロライン・ウォズニアッキデンマーク)との3回戦まで進出した。全豪オープン終了後、リシキは女子テニス国別対抗戦・フェドカップのドイツ代表選手に選ばれ、2月2日-3日のワールドグループ1回戦で代表デビューする。ドイツ・チームはアメリカに1勝4敗で敗れたが、リシキが第1試合でリンゼイ・ダベンポートを破ってチーム唯一の勝利を収め、フェド杯代表デビュー戦を白星で飾った。同年9月の「タシケント・オープン」で初めての女子ツアー決勝戦に進み、ここではソラナ・チルステアルーマニア)に 6-2, 4-6, 6-7 で敗れて準優勝になった。
2009年4月19日、リシキは「ファミリー・サークル・カップ」決勝でキャロライン・ウォズニアッキを 6-2, 6-4 で破り、ツアー初優勝を決めた。翌週にフェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が行われ、ドイツはホームコートのフランクフルト中国チームと対戦した。リシキは第1試合と最終第5試合に登場し、アンナ=レナ・グローネフェルドと組んだ第5試合のダブルス戦で、鄭潔彭帥の組を 4-6, 7-5, 6-2 で破った。こうして、ドイツは2010年度フェドカップのワールドグループ復帰を決めた。2か月後のウィンブルドンで、リシキは3回戦で先の全仏オープン優勝者スベトラーナ・クズネツォワロシア)を 6-2, 7-5 で破った後、4回戦でもウォズニアッキに 6-4, 6-4 で連勝し、初のベスト8進出を決めた。ドイツ人女性によるウィンブルドンの8強入りは、1988年から1996年までの間に7度優勝したシュテフィ・グラフ以来10年ぶりの快挙となった。準々決勝では第1シードのディナラ・サフィナに 7-6, 4-6, 1-6 の逆転で敗れた。
2010年は、長引いた左足の関節の負傷により3月末から8月初めまで大会に出場できなかったため、ランキングが23位から179位に大幅に落ちてしまった。2011年の全豪オープンは予選で敗退した。4月のポルシェ・テニス・グランプリではサマンサ・ストーサーと組み初めてのダブルスタイトルを獲得した。全仏オープンは予選を勝ち上がったが2回戦でベラ・ズボナレワに 6-4, 5-7, 5-7 で逆転負けを喫した。全仏後のバーミンガム大会では、ツアー4度目の決勝に進出し、ダニエラ・ハンチュコバを 6–1, 6–4 で破りシングルスツアー2勝目を挙げた。
2011年ウィンブルドン選手権では主催者推薦での出場であったが、2回戦で全仏優勝者の李娜を 3-6, 6-4, 8-6 で勝利して勢いに乗り、準々決勝ではマリオン・バルトリを 6-4, 6-7, 6-1 で破り4大大会初のベスト4に進出する。準決勝ではマリア・シャラポワに 6-4, 6-3 で敗れた。サマンサ・ストーサーと組んだダブルスでも決勝に進出し、クベタ・ペシュケ&カタリナ・スレボトニク組に 3–6, 1–6 で敗れ準優勝となった。8月のダラス大会では決勝でアラバン・レザイを 6–2, 6–1 で破って優勝、シングルスツアー3勝目を挙げた。全米オープンでは2回戦のビーナス・ウィリアムズの棄権による不戦勝を得て勝ち進み、全米では初の4回戦に進出した。ベラ・ズボナレワに 2-6, 3-6 で敗れた。
2011年全豪オープンでは第14シードで出場してシードを守り、全豪では初の4回戦に進出した。マリア・シャラポワに 6-3, 2-6, 3-6 で敗れた。
2012年ウィンブルドン選手権では4回戦で2012年全仏オープン優勝の第1シードマリア・シャラポワを 6–4, 6–3 で破りベスト8に進出した。準々決勝では同じドイツのアンゲリク・ケルバーに 3-6, 7-6(7), 5-7 で敗れ2年連続のベスト4入りを逃した。7月のロンドン五輪でオリンピックに初出場した。シングルス3回戦でマリア・シャラポワに 7-6(8), 4-6, 3-6 で敗れた。クリストファー・カスと組んだ混合ダブルスでは準決勝でイギリスのアンディ・マリー&ローラ・ロブソン組に敗れた後の「銅メダル決定戦」でアメリカのマイク・ブライアン&リサ・レイモンド組に 3-6, 6-4, で敗れ銅メダルを逃した。
2013年ウィンブルドンでは、第1シードのセリーナ・ウィリアムズアグニエシュカ・ラドワンスカなど格上を次々と下す快進撃を見せるものの、決勝では思うようなプレーができず、マリオン・バルトリに1-6, 4-6で敗れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ザビーネ・リシキ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sabine Lisicki career statistics 」があります。




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