翻訳と辞書
Words near each other
・ サピア
・ サピア-ウォーフの仮説
・ サピア-ウォーフ仮説
・ サピアウォーフの仮説
・ サピアウォーフ仮説
・ サピアタワー
・ サピア・ウォーフの仮説
・ サピア・ウォーフ仮説
・ サピア=ウォーフの仮説
・ サピア=ウォーフ仮説
サピエンツァ大学
・ サピエンティア (小惑星)
・ サピエン酸
・ サピオ
・ サピカ
・ サピックス
・ サピックス中学部
・ サピックス小学部
・ サピックス高校部
・ サピン王国


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サピエンツァ大学 : ミニ英和和英辞書
サピエンツァ大学[がく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大学 : [だいがく]
 【名詞】 1. (1) university 2. (2) the Great Learning - one of the Four Books 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

サピエンツァ大学 ( リダイレクト:ローマ・ラ・サピエンツァ大学 ) : ウィキペディア日本語版
ローマ・ラ・サピエンツァ大学[ろーまらさぴえんつぁだいがく]

ローマ・ラ・サピエンツァ大学(Sapienza – Università di Roma)はイタリア共和国国公立大学で、首都ローマに位置する。イタリアのみならず欧州でも屈指の歴史を持ち、その起源は中世時代の1303年にまで遡る事ができる。現在の学生数は11万8655名に達し、21の学部を持つ西ヨーロッパで最大規模の大学である。
簡潔に「ローマ大学」と呼ばれる場合もあるが、ローマ市内には第二次世界大戦後に設立された二つの国公立大学(ローマ・トル・ヴェルガータ大学ローマ・トレ大学)が存在する為、「ローマ大学のサピエンツァ校(サピエンツァは英語の''wisdom''と同義)」を意味するローマ・ラ・サピエンツァの別名で呼称されている。また三校を纏めてローマ第一大学(サピエンツァ)、ローマ第二大学(トル・ヴェルガータ)、ローマ第三大学(トレ)と呼ぶ場合もある。
== 歴史 ==
1303年4月20日ローマ教皇ボニファティウス8世は、聖職者養成の為の教育機関の設立を宣言する教皇勅書「''イン・スプレマ・プラエミネンティア・ディグニタティス''」(''In supremae praeminentia dignitatis'')を発した。勅書に基いて同年中に「Studium Urbis」と名付けられた神学校がローマ市内に設立され、後にこの神学校がローマ・ラ・サピエンツァ大学の前身となった。1431年、エウゲニウス4世によってパラッツォ・サピエンツァに再建された。
1870年、イタリア王国が教皇領を廃止してフィレンツェからローマに遷都すると、教皇庁管轄の大学からイタリアの国公立大学へと移管された。1935年、ベニート・ムッソリーニ政権のファシスト体制下に現在のキャンパスに移された。これまでにノーベル賞受賞者を含め、数多くの著名人を輩出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローマ・ラ・サピエンツァ大学」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sapienza University of Rome 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.