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サブアーウィー・イブラーヒーム・ハサン・アッ=ティクリーティー(Sab'āwī Ibrāhīm Hasan al-Tikrītī, 1947年 - 2013年7月8日)は、イラクのサッダーム・フセイン元大統領の異父弟。元大統領顧問。 == 略歴 == 1947年、ハサン・イブラーヒームの長男としてティクリート近郊のアウジャ村で生まれる。バルザーン・イブラーヒーム・ハサンとワトバーン・イブラーヒーム・ハサンは弟。 早くからサッダーム・フセインと共にバアス党の運動に参加し、主に党のオルグ活動を行った。1968年のバアス党主導のクーデターにも参加した。1972年にティクリート県警察本部長代理に任命された。しかし、1983年には、フセインとの確執から弟たちと共に自宅軟禁を命じられた。数年後に解除され、1987年に総合治安局副長官、1989年からは総合情報庁長官となった。 1990年、イラクがクウェートに侵攻して占領すると、同地で王族の宮殿や高級住宅街で略奪の限りを尽くした。 湾岸戦争が終わる直前にサブアーウィーは総合治安局(Mudiriyat al-Amn al-Amma)長官となり、戦後に起こった南部シーア派住民に対する大量虐殺に関与したとされる。 治安局長官時代のサブアーウィーは、副長官のイブラーヒーム・アッラーウィーと共に権力を盾にして、闇市での密輸取引や収賄、略奪、窃盗まで行っていた。一方で、イラクの国民に対しては、自らも手を染めているにも関わらず、汚職を取り締まるとして、国連の経済制裁を受けてやむをえずに食料価格を値上げした商人や密輸などに関与した市民らを処刑するなどしていた。 1997年、この目に余る行為にフセインも動き出した。アッラーウィー副長官は逮捕され、裁判に掛けられた。裁判所で行われた証言により二人がクウェートで略奪の限りを尽くしていたことが、当時クウェートにいたイラク軍の将軍たちによって暴露された。サブアーウィーは証人として裁判所に出頭を命じられ、訴状を聞かされたが反論はしなかったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サブアーウィー・イブラーヒーム・ハサン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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