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サベイジ駅の戦い(サベイジえきのたたかい、英:Battle of Savage's Station)は、南北戦争序盤の1862年6月29日、バージニア州ヘンリコ郡で、七日間の戦いの4つめの戦いとして起こった戦闘である。北軍の主力ポトマック軍はジェームズ川に向けて全軍撤退を始めていた。南軍ジョン・マグルーダー少将は3個旅団を率いて、鉄道とウィリアムズバーグ道路に沿って追撃し、サベイジ駅近くで北軍の後衛、エドウィン・V・サムナー少将の第2軍団を攻撃し、一方、ストーンウォール・ジャクソンの師団はチカホミニー川北岸で立ち往生していた。北軍はホワイトオーク湿地を渡って撤退を続け、多くの物資や野戦病院にいた2,500名以上の負傷兵を放棄した。 == 背景 == 七日間の戦いは6月25日にオークグラブの小さな戦いにおける北軍の攻撃で始まったが、南軍のロバート・E・リー将軍とその北バージニア軍が6月26日のビーバーダム・クリークの戦い、6月27日のゲインズミルの戦いおよび6月27日と28日のガーネッツ・アンド・ゴールディングズ・ファームの小戦闘と一連の攻撃を始めると、北軍ジョージ・マクレラン少将のポトマック軍は急速に主体性を失った。ポトマック軍はジェームズ川に向けて全軍撤退を継続した〔Salmon, p. 64.〕。 マクレラン軍の大半がリッチモンド・アンド・ヨーク川鉄道のサベイジ駅近くに集結し、ホワイトオーク湿地を抜ける難しい行軍のための準備をしていた。マクレラン自身はゲインズミルの戦い後に、各軍団に撤退中の動きについて指示を残さず、また副指揮官を指名することもなく南のマルバーンヒルに移動していたので、北軍は統率された指示も無いままに動いていた。北軍兵は携行できない物全てを焼却するよう命令されたので黒煙の雲が辺りを包んでいた。北軍の士気は急降下しており、特に負傷兵は軍隊の他の兵士達と共にサベイジ駅から引き上げられないと認識したために尚更だった〔Eicher, p. 290; Salmon, p. 111.〕。 リーはマクレラン軍を追撃し破壊するために複雑な作戦を立てた。ジェイムズ・ロングストリートとA・P・ヒル各少将の師団は一旦リッチモンドの方向に戻り、続いて南東のグレンデイルの交差点を目指す、セオフィラス・H・ホームズ少将の師団は更に南を目指してマルバーンヒル近辺に向かう、ジョン・マグルーダー少将の師団はウィリアムズバーグ道路とヨーク川鉄道にそって真っ直ぐ東に向かい、北軍の後衛を攻撃すると命令された。ストーンウォール・ジャクソンの師団はD・H・ヒル少将とウィリアム・H・C・ホワイティング准将の各師団と共にチカホミニー川の橋を再建し、直ぐ南のサベイジ駅に向かい、そこでマグルーダー隊と合流して北軍に強打を与え、北軍が後退しながら戦わざるを得ない状況に追い込むものとされていた〔Sears, p. 261; Salmon, p. 110; Eicher, p. 290.〕。 サベイジ駅におけるマクレラン軍の後衛はエドウィン・V・サムナー准将の第2軍団(2個師団)サミュエル・P・ハインツェルマン准将の第3軍団(2個師団)とウィリアム・B・フランクリン准将の第6軍団(1個師団)で構成されていた。マクレランは自分より上級の将軍であるサムナーが無能であると考えていたので、誰も後衛を指揮する者を指名していなかった〔Eicher, p. 290; Sears, p. 261; Salmon, p. 111.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サベイジ駅の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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