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サボ島沖海戦 : ミニ英和和英辞書
サボ島沖海戦[さぼとうおきかいせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [おき]
 【名詞】 1. open sea 
海戦 : [かいせん]
 【名詞】 1. naval battle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

サボ島沖海戦 : ウィキペディア日本語版
サボ島沖海戦[さぼとうおきかいせん]


サボ島沖海戦(サボとうおきかいせん)は、第二次世界大戦ガダルカナル島周辺において1942年(昭和17年)10月11日深夜~12日に日本軍アメリカ軍の間で行われた海戦である。連合軍側の呼称はBattle of Cape Esperance (エスペランス岬沖海戦)〔#モリソンの太平洋海戦史176頁〕。レーダーが勝敗の行方を左右したといわれるが、実際には日本艦隊の油断と不手際によるところが大きい〔#図説太平洋海戦史第2巻205頁〕。
なおサボ島沖海戦の2ヶ月前に行われた別海戦で、日本軍側が第一次ソロモン海戦と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Savo Island」と呼んでいる〔#モリソンの太平洋海戦史159頁〕。
==経緯==
1942年(昭和17年)8月7日よりはじまったガダルカナル島の戦いで、連合国軍は制空権を掌握して日中に輸送船団をおくりこみ、日本海軍は駆逐艦による高速輸送作戦(鼠輸送)を用いて夜間に活動した〔#モリソンの太平洋海戦史177頁〕。9月23日、連合艦隊首席参謀黒島亀人大佐はラバウルへ出張して第八艦隊および第十一航空艦隊と協議、陸軍第十七軍と今後のガ島作戦について折衝をおこなった〔#戦史叢書83ガ島戦165-166頁『輸送計画の改正』〕。陸軍側は弾薬糧食合計3500トンの輸送を要望、海軍もこれを了承し、蟻輸送・駆逐艦輸送・潜水艦輸送・日進(10月3日、6日予定)と千歳(10日、13日)の投入が決まる〔。並行して、ガ島の日本陸軍総攻撃を実施するために大規模輸送計画を立案した〔#戦史叢書83ガ島戦167-168『高速船団輸送』〕。高速輸送船5隻を投入して10月11日のガ島上陸を目指したが、ガ島のヘンダーソン飛行場を制圧しない限り、輸送船団突入成功の見込みはなかった〔。そこで従来からの航空攻撃や陸軍重砲(日進輸送予定)の砲撃にくわえ、金剛型戦艦による艦砲射撃を実施、ヘンダーソン飛行場の完全制圧を企図した(ヘンダーソン基地艦砲射撃)〔。
同時期、アメリカ軍では南太平洋部隊司令官ロバート・L・ゴームレー中将が太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将に突かれる形で〔ポッター, 263頁。〕、輸送船団を編成してニューカレドニアから3,000名の新たな海兵隊部隊をガダルカナル島に送り込み、同時に「東京急行」を「脱線」させる艦隊を出撃させていた〔ニミッツ、ポッター, 126頁。〕〔#モリソンの太平洋海戦史180頁〕。航空偵察によって日本艦隊の出現を察知したアメリカ軍は、輸送船団の露払いとしてノーマン・スコット少将を指揮官とする巡洋艦部隊を先行させる〔。この部隊はサンフランシスコソルトレイクシティーボイシヘレナからなる第64任務部隊であった。スコット少将は艦隊の水上偵察機を投入して日本艦隊の動向を探った〔。第一次ソロモン海戦とは逆に、日本艦隊は油断し、アメリカ艦隊は警戒して戦闘準備を整えていた。
アメリカ側は旗艦サンフランシスコが旧型のレーダーしか装備していないことがネックと見ていた。新型のSGレーダーを装備していたのは軽巡ヘレナボイシのみだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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