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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
サマーウインドは日本の競走馬。主な勝ち鞍は2010年JBCスプリント、東京盃、クラスターカップ。一度地方競馬へと転出し再度中央競馬へ転入したという経歴を持つ「出戻り馬」である。 == 経歴 == 重賞2勝のほか、1988年に記録した函館競馬場芝1200mのレコードタイムを22年間保持したシンウインドの最終産駒〔2009年11月14日競馬ブック誌面より抜粋。本馬の母系については、「生誕時の母は21歳と高齢でありその母系の古めかしさは隠せないものとなっている。」と評されている。〕。 2007年10月2歳秋に両前骨膜炎を発症したため、デビュー戦は翌2008年夏の小倉と大幅に遅れる。その小倉で2度使われた後、右前膝骨折により戦線離脱したため、3歳未勝利戦が組まれる同年10月までの復帰は不可能となる。 ここで同馬は道営門別に移籍して翌2009年に2戦し、それぞれ8馬身・大差の勝利を収める。この2勝によりJRA再登録の要件を満たし、同年10月にJRA復帰。復帰後も勝ち鞍を重ね、5連勝でオープンクラスへの昇格を果たす。この間、道営・中央双方でレコード勝ちの内容を「ステッキを使わずレコード勝ちは凄い、ダート6ハロン戦ならば重賞級の馬」〔2010年1月5日ダービーニュース〕と評され、2010年にはダートのスプリント重賞であるクラスターカップと東京盃を連勝し、重賞勝ち馬の一員に名を連ねることとなる。そして、同年11月に日本競馬史上初の1000mGI (JpnI) 競走として船橋1000mで行われたJBCスプリントでは、単勝1.2倍の圧倒的一番人気に応えて4馬身差で圧勝し、GI (JpnI) ウィナーの仲間入りを果たした。 2011年の初戦は未勝利戦以来の芝レースとなる高松宮記念となった。主戦騎手の藤岡佑介がワンカラットに騎乗するために福永祐一と乗り替わったが、ブービーの14着と大敗した。その後、11月のJBCスプリントは先団に位置したが、直線で脚色を失い6着に敗れた。 2012年初戦の東京スプリントは好位追走も直線で伸びを欠き、7着となる。かきつばた記念は中団でレースを進めたが直線で伸びきれず7着となり、北海道スプリントカップは先手を取って逃げたが4着に敗れた。クラスターカップでは好位でレースを進めたが、最下位11着に終わった。 管理する庄野は、「テン(スタートダッシュ)は普通だが二の脚(最後の直線での再加速)は速い。」とのコメントを残している〔2009年11月14日競馬エイト〕。 2013年初戦の黒船賞は8着。その後に3走するが勝てず、12月18日付けでJRAの競走馬登録を抹消され、以前所属していたホッカイドウ競馬の原孝明厩舎に移籍した。 移籍初戦は2014年5月15日門別の重賞・エトワール賞で10着、続く交流重賞(JpnIII)の北海道スプリントカップは13着でともに勝ち馬から2秒以上の差をつけられる大敗に終わった。8月6日のロードカナロア・プレミアムは、出走を取り消した(なお、同レース自体も濃霧のため取りやめとなっている)。ホッカイドウ競馬2014年シーズン最終日の11月13日に行われた浦河ウエリントンファイナルカップで復帰したが9着に終わった。このレースの後、金沢競馬場の赤間亨厩舎へ移籍した。金沢移籍初戦は12月8日の鵜祭り特別であったが競走除外となった(なお、同レース自体も走路状態の悪化のため取りやめとなっている)。 その後高知の雑賀秀介厩舎に移籍。高知移籍初戦の2015年1月21日C3-13で久々の勝利をあげた。移籍2戦目は4着に敗れたが続く2戦を連勝した。その後、金沢の黒木豊厩舎に移籍した。金沢移籍4戦目の条件戦で移籍後初勝利をあげた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サマーウインド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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