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サム・クエリー : ウィキペディア日本語版
サム・クエリー[ちょうおん]

サム・オースティン・クエリーSam Austin Querrey, 1987年10月7日 - )は、アメリカカリフォルニア州サンフランシスコ出身の男子プロテニス選手。これまでにATPツアーでシングルス8勝、ダブルス4勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス17位、ダブルス23位。身長198cm、体重91kgの長身選手でもある。マスターズ1000ダブルスで優勝1回・準優勝2回。
==選手経歴 ==
母親の勧めにより、4歳からテニスを始めた。クエリーの父親は優れた元野球選手で、かつてデトロイト・タイガースからドラフト指名を受けたほどの技量を持ち、現在は不動産銀行員の仕事をしている。父親から恵まれた運動能力を受け継いだクエリーは、南カリフォルニア大学から奨学金の申し出を受けたが、それを辞退して2006年からプロテニス選手となった。2006年全米オープン4大大会に初出場し、ガストン・ガウディオアルゼンチン2004年全仏オープン優勝者)との2回戦に進出する。2007年には全豪オープントミー・ロブレドスペイン)との3回戦に進み、全米オープンの男子ダブルスでロバート・ケンドリック(同じアメリカの選手)と組んでベスト8に進出した。
2008年3月、クエリーはアメリカ・ラスベガス開催大会の決勝でケビン・アンダーソン南アフリカ)を 4-6, 6-3, 6-4 で破り、ATPツアーで初優勝を遂げた。8月の北京五輪で初のアメリカ代表に選出された後、クエリーは全米オープンで自己最高の4回戦進出を決めた。この大会では1回戦でトマーシュ・ベルディハチェコ)を破って波に乗り、4回戦で第1シードのラファエル・ナダルスペイン)に 2-6, 7-5, 6-7(2-7), 3-6 で惜敗した。全米オープン終了後、クエリーは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのアメリカ代表に初起用され、9月19日-21日に行われた「ワールドグループ」準決勝の対スペイン戦に出場した。
2009年のクエリーの成績は7月末の「ロサンゼルス・テニスオープン」でツアー2勝目を挙げたほかシングルスで4大会の準優勝を記録している。4大大会年間最終戦の全米オープンで、クエリーは初めて男子シングルス「第22シード」に選出された。しかし本大会では3回戦で当年度の全仏オープン準優勝者、第12シードのロビン・セーデリングスウェーデン)に 2-6, 5-7, 7-6(8-6), 1-6 で敗れ、2年連続のベスト16入りはならなかった。
2010年は2月のリージョンズ・モーガン・キーガン選手権で単複優勝をするなどシングルス4勝、ダブルス2勝を挙げた。ウィンブルドン全米オープンで4回戦に進出した。BNLイタリア国際ダブルスにジョン・イスナーとペアを組み準優勝にとどまった。
2011年、クエリーはBNLイタリア国際ダブルスにてイスナーとペアを組んで優勝し、マスターズ1000ではキャリア初優勝となった。
クエリーは2011年6月に手首の手術を受け、ウィンブルドン全米オープンを欠場した。
2012年のファーマーズ・クラシックの決勝でリチャルダス・ベランキスを 6–0, 6–2 で破り2年ぶりのツアー7勝目を挙げた。BNPパリバ・オープンダブルスでイスナーとペアを組み準優勝した。
2013年6月11日、シングルス通算200勝を達成した。
2015年全米オープンではスティーブ・ジョンソンとペアを組み出場。1回戦で第1シードのブライアン兄弟に7-6,5-7,6-3で勝利。その後も勝ち進みグランドスラム初の準決勝進出を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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