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サム・トンプソン
サム・トンプソン(Samuel Luther Thompson, 1860年3月5日 - 1922年11月7日) は、19世紀に活躍したアメリカ・メジャーリーグの選手。ポジションは右翼手。インディアナ州生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Big Sam"(ビッグ・サム)。ボールの飛ばない時代の数少ない長距離打者だった。 == 経歴 == 元々大工をしていたトンプソンは、1884年、ウエスタンリーグのインディアナポリス球団からデトロイト・ウルバリンズに入団。63試合に出場して打率.303をマーク、本塁打7本、44打点、長打率.500と長打力を発揮して外野のレギュラーとなる。1887年には打率.372で首位打者となったほか、203安打で166打点を挙げ、チームのナショナルリーグ制覇に貢献する。この年の5月7日の試合では、満塁走者を一掃する三塁打を二度放ったという記録を作っている。 1889年にフィラデルフィア・クエーカーズに移籍。同年は20本塁打で初めて本塁打のタイトルを獲得する。また1894年には、チームメイトだったエド・デラハンティと共に打率4割超え(.407) を達成するとともに、141打点を挙げ、両打撃部門でリーグ2位となる(この年はヒュー・ダフィーが.440を記録して三冠王になった年である)。また、この年は打点が147打点で1位であるとする説もあるが公式には2位のままである。翌1895年には18本塁打、165打点をマークして両部門のリーグトップとなった。 1896年に不運な怪我に見舞われ、翌年、翌々年のシーズンはほとんど出場できなかった。1898年に一度引退したが、野球への思いが絶ちがたかったのか、8年後の1906年、46歳の時にデトロイト・タイガースで現役復帰。8試合に出場し7本の安打を記録。打率は.226であった。1922年、ミシガン州デトロイトで死去。1974年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サム・トンプソン」の詳細全文を読む
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