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サヨンの鐘 : ウィキペディア日本語版
サヨンの鐘[さよんのかね]
サヨンの鐘(サヨンのかね)は1938年に起きた事故に関連して台湾台北州蘇澳郡蕃地(現・宜蘭県南澳郷)に設置された鐘、およびその事故のことを歌った渡辺はま子の歌(西條八十作詞、古賀政男作曲)、また、その事故を題材として1943年に封切られた李香蘭主演の松竹映画。
== サヨンの遭難 ==
1938年(昭和13年)、日本統治下の台湾・台北州蘇澳郡蕃地大字リヨヘン社に駐在していた日本人の巡査田北正記に召集令状が届き、出征することとなった。その巡査は村の学校の教師も務めるなど面倒見がよく、村人から慕われていたため、下山する際の荷物運びを村の青年たちが申し出た。17歳の少女サヨン・ハヨンもその一人だった。一行は悪天候の中出発したが、途中の川に掛かった丸木橋を渡る際、荷物を背負っていたサヨンは足を滑らせて増水した川に落ち、命を落とした。
この話は、出征する恩師を見送るために少女が命を犠牲にした、ということから、台湾先住民宣撫のための格好の愛国美談となって広まり、台湾総督によってサヨンを顕彰する鐘と碑が遭難現場付近に建てられた。これが「サヨンの鐘」と「愛國乙女サヨン遭難の碑」である。
大東亜戦争勃発後の1943年、山地名の日本色強化政策により、サヨンの故郷・リヨヘンもこの物語により鐘ヶ丘(かねがおか)に改称された〔「ウライ社=烏來社 從來の名稱にその儘漢字を當てる 山地名改稱緒につく」『臺灣日日新報』昭和十八年三月九日。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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