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サラピス
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サラピス ( リダイレクト:セラピス ) : ウィキペディア日本語版 | セラピス
セラピスまたはサラピス(Serapis、)は、古代におけるヘレニズム期エジプトの習合的な神である。最も有名だった神殿として、アレクサンドリアのセラペウム(en)がある〔パウサニアスが『ギリシア案内記』(1.18.4) で、アテネのアクロポリスの斜面にプトレマイオスの建てたセラペイオンについて記述する中で「セラピスのエジプトにおける最も有名な聖域はアレクサンドリアにある」と記している。また、「丘から市街に降りていく際に通るのがセラピスの聖域で、アテネ人はプトレマイオスからその信仰を導入した」とある。〕。 == 起源 == プトレマイオス1世の治世下で、エジプト人の宗教と統治者ら(マケドニア人)の宗教を統合する努力が行われた。プトレマイオス1世の方針は、エジプトの神官がかつての外来の支配者の神を呪っていることを踏まえ(すなわち、ヒクソスによって崇拝されたセト)、両方から崇拝される神を見出すことだった。アレクサンドロス3世はアメンを考えていたが、アメンは上エジプトで信仰が篤い神で、ギリシア人の支配力が強い下エジプトではそれほどでもなかった。ギリシア人には動物の頭を持つ像はあまり人気がなかったため、ギリシア風の人間の姿をした偶像が選ばれ、アピスと同一であると宣言した。それが「アセル=ハピ (Aser-Hapi)」(すなわち、オシリス=アピス)と呼ばれ、セラピス (Serapis) となった〔ジェームズ・フレイザーの『ビブリオテーケー』(2.1.1) への注釈によると、「アポロドーロスはアルゴスの始祖であるアピスとエジプトの聖なる牛アピスを同一とし、次いでセラピスを同一とした」とある。パウサニアスもセラピスとエジプトのアピスの関係について、「(アレクサンドリアのセラピスの神域には)アピスを埋葬するまで一般人も神官もそこに入ることはできない」と記している(『ギリシア案内記』(1.18.4))。〕。そして、この場合のオシリスはカー(霊魂)だけの存在ではなく、完全体とされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セラピス」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Serapis 」があります。
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