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サリー伯爵()は、イングランド貴族の伯爵位。 3回創設されており、第1期はが1088年に叙されたのにはじまり、ワーレン家とフィッツアラン家によって世襲されたが、1415年にとなった。第2期はジョン・ド・モウブレー(後の第4代ノーフォーク公爵)が1451年に叙されたが、彼一代で終わる。第3期は1483年にトマス・ハワード(後の第2代ノーフォーク公爵)が叙されたのに始まり、ノーフォーク公爵の従属爵位として現在に至るまでハワード家によって世襲されている。2014年現在のサリー伯爵位保有者は第18代ノーフォーク公爵エドワード・フィッツアラン=ハワードである。 == 歴史 == (生年不詳-1088)はノルマンコンクエストで戦功を立て、死の直前にウィリアム2世よりサリー伯爵(もしくはワーレン伯爵)位を与えられた。 その後、サリー伯爵はワーレン家によって世襲されたが、7代サリー伯爵(1286–1347)が1347年に男子継承者なく死去すると、その姉(1287–1338)の子である10代アランデル伯爵(1313-1376)がサリー伯爵位を継承した〔森(1987) p.35〕。 第12代アランデル伯爵・第10代サリー伯爵(1381–1415)が死去するとアランデル伯爵位は又従兄弟(1385–1421)に継承されたが、サリー伯爵はとなった。 1451年にはジョン・ド・モウブレー(1444–1476)(1461年に第4代ノーフォーク公爵位を継承)がサリー及びワーレン伯爵に叙されたが、彼一代で絶えた。 1483年にはリチャード3世即位への貢献でジョン・ハワード(生年不詳–1485)が初代ノーフォーク公爵、その息子トマス・ハワード(1443–1524)が初代サリー伯爵に叙されたが〔海保(1999) p.232〕、1485年のボズワースの戦いでリチャード3世とノーフォーク公が敗死したため、父のノーフォーク公爵位とトマスのサリー伯爵位は剥奪された〔森(1987) p.24-25〕。しかしトマスは1489年1月にサリー伯爵への復権が認められ、ついで1514年にノーフォーク公爵位への復権も認められた〔森(1987) p.26〕。これに伴いサリー伯爵はノーフォーク公爵の従属爵位となり、またノーフォーク公爵家の嫡男の儀礼称号となった(詩人で1547年に処刑されたサリー伯爵ヘンリー・ハワード(1517–1547)はノーフォーク公爵家の嫡男として儀礼称号でサリー伯爵と称されていた人物であり、実際にサリー伯爵の爵位を保有していたわけではない)〔海保(1999) p.232〕。 1572年には4代ノーフォーク公・3代サリー伯爵トマス・ハワード(1536–1572)が大逆罪で処刑され全爵位を剥奪された。その長男フィリップ・ハワード(1557-1595)は母方から第20代アランデル伯爵位を継承したが、敬虔なカトリックとして国教会に抵抗したため、1589年にアランデル伯爵位も剥奪された。その息子である(1585–1646)は1604年に第21代アランデル伯爵と第4代サリー伯爵の復権を認められた。その孫である第23代アランデル伯爵・第6代サリー伯爵トマス・ハワード(1627–1677)は、1660年に第5代ノーフォーク公爵位への復権が認められた〔森(1987) p.40〕。 これ以降2014年現在までサリー伯爵位はノーフォーク公爵位と分離することなく従属爵位として続いている。ノーフォーク公爵家の嫡男は「アランデル・サリー伯爵」を儀礼称号とする。2014年現在のサリー伯爵位保有者は第18代ノーフォーク公爵エドワード・フィッツアラン=ハワード(1956–)(第19代サリー伯爵)である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サリー伯爵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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