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サルト人(ペルシア語: 、ロシア語:)は、中央アジアの定住民を指した歴史上の民族名称。特定の民族集団を指す名称ではなく、中央アジアの定住民一般を指して用いられた呼称であり、地域や時代によって指す対象は変遷した。 == サルトの語源 == サルトは、サンスクリット語で商人やキャラバン隊長を指す「サールタヴァーハ ''Sārthavāha''」に由来し、遊牧民が都市住民を指して使った呼称に起源を持つと考えられている。 「サルト」の呼称が最初に使われ出した時期は、定住民のウイグル人やソグド人を指して使われた、8世紀から9世紀ごろであると考えられている。文献上の最初の用例は、1070年のテュルク語による『クタドゥグ・ビリク』とされる。同書において、「サルト」は、カシュガルの定住民を指して使われており、この時代の用例で、サルトがイラン系、テュルク系のムスリム定住民の総称として使われていたことが分かる。 13世紀にはじまるにモンゴル時代には、モンゴル語やテュルク語で中央アジア方面をサルタウル Sarta'ul またはサルタグル Sartaγul などと呼んでいる。チンギス・カンの中央アジア遠征以降もホラズム・シャー朝の支配地域全般を指し、この地域の住民はサルタクタイ Sartaqtai と呼んでいた。14世紀はじめのラシードゥッディーンの『集史』では、チンギス・カンが、テュルク系ムスリムであるカルルク族のアルスラン・ハンに対して「ハン」の称号を改める換わりに「サルタクタイ」 ''Sartaqtai'' の称号を与えたと書かれている。『集史』でも「サルタクタイ」は、タージークと同義であるとしている。 また『元朝秘史』巻六によると、のちのチンギス・カンことテムジンらモンゴル勢がオン・ハン、イルカ・セングン率いるケレイト王国に敗れバルジュナ湖畔に逼塞していた時、オングト部族の王アラクシ・テギト・クリの使者としてアサン・サルタクタイ(「アサンというサルタク人」の意味)という人物と出会い、その後勢力を盛り返してケレイト王国を打倒している。この「アサンというサルタク人」は『集史』などに出てくるチンギス・カンの中央アジア遠征で活躍していたハサン・ハージーという人物と同一とする説が有力で、彼はシルダリヤ川中流のスィグナクの出身だったと伝えられている。『元朝秘史』のこの部分ではサルタクタイ(撒舌児塔黒台 Sartaqtai )を「名字的回回」と説明しており、モンゴル帝国、元朝においては「回回」はタージーク(イラン系ムスリム)やムスリム一般の意味とされていたので『集史』での説明とも重なる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サルト人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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