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サルバ・キール・マヤルディ(、、1951年9月13日 - )は南スーダンの政治家。現在、同国大統領(初代)。南スーダン独立前はスーダン共和国の第一副大統領であり、南部スーダン大統領(第2代)であった。 == 経歴 == ディンカ人であるが南部スーダン自治政府の初代大統領ジョン・ガランとは部族が異なる。敬虔なカトリックキリスト教徒である。 1960年代後半からアニャニャ(Anyanya。南部スーダンの部族が結成した組織)に参加して第一次スーダン内戦に参戦した。1972年のアディスアベバ合意の時点ではまだ無名の兵士であったが、1983年にジョン・ガランがスーダン人民解放軍(SPLA)を立ち上げると第二次スーダン内戦では軍事経験の乏しいガランに代わって戦闘を指揮をとるようになりSPLAの参謀長として活躍した。2004年にはキールを追い落とそうとする勢力との抗争でSPLAは内部分裂の危機に陥った。 2005年、キールも尽力した南北包括和平合意が署名されると南部スーダン自治政府の副大統領に指名され、同年7月にガランが事故死すると後任としてスーダン共和国第一副大統領及び南部スーダン自治政府第2代大統領に就任した。キールは穏やかな人柄と控え目な言動、輝かしい軍歴からSPLAだけでなく民衆からも人気を得た。2009年のキールの演説「来るべき住民投票は『国の二級市民のままでいいのか、それとも独立国家で自由人になるのか』という選択だ」という言葉はスーダンとの間で政治的緊張を起こした。2010年、キールは4月のスーダンの大統領選挙で争う意思はないと語り、代わりに南スーダン自治政府の大統領選挙に集中するとし、スーダン人民解放運動(SPLM)の「独立」という運動方針が再確認された。4月の大統領選挙にて得票率92.99%という圧倒的大差で南部スーダン自治政府大統領に再選され、続いてスーダン大統領のオマル・アル=バシールはキールをスーダンの第一副大統領に再指名した。 2011年7月9日、南部スーダンは南スーダン共和国として独立し、キールは初代大統領に就任した。2013年7月23日、キールは大幅な改造のため、自身の内閣の全閣僚と、与党スーダン人民解放運動の主要幹部を全て解任した。同年12月14日にはクーデター未遂事件が発生。これを退けたが、事件の首謀者を7月に解任したマシャール前副大統領と断定して追及を行っている 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サルバ・キール・マヤルディ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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