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サレ
サレ(Salé、、ベルベル語:ⵙⵍⴰ )は、モロッコの都市。 ブー・レグレグ川右岸に位置し〔飯山「サレ」『世界地名大事典』3、446頁〕、モロッコの首都ラバトと川を挟んで隣接する。ブー・レグレグ川を挟んで北がサレ、南がラバトであり、この2つの町は双子都市として発展してきた〔。中世のサレはヨーロッパとの交易の中心地となっていた〔野沢「サレ」『世界地名大事典』6巻、431頁〕。 == 歴史 == サレにはじめて住み始めたのはフェニキア人である。「サレ」の名前はローマ人によって建設されたシェッラー(Shella)に由来すると考えられている〔。 10世紀頃のサレにはズウナート族の独立政権が存在していたが〔ガリマール社、同朋舎出版編『モロッコ』、175-177頁〕、1058年にムラービト朝に併合された〔那谷『紀行 モロッコ史』、175頁〕。1140年代にムワッヒド朝の支配下に入り、ムワッヒド朝が衰退した後はマリーン朝の支配下に置かれる。15世紀には、マリーン朝の有力貴族であるワッタース家がサレを本拠地としていた。1609年以降にスペインから亡命したモリスコたちがサレに住み着いて町を拠点とする海賊となり、彼らは「サレの海賊」として恐れられた〔。1627年ごろに海賊の自治国家()が成立し、モロッコの王国はサレから税金が納められる限り、海賊行為を黙認していた〔。
アラウィー朝のムーレイ・イスマーイールは海賊たちを抑えるため、町の近くにアビド(黒人奴隷で構成される親衛隊)を配置した〔〔那谷『紀行 モロッコ史』、175-176頁〕。サレの独立性は徐々に低下していき、手工業と宗教活動の町に変わっていった〔。ブー・レグレグ川の沈泥によって港の使用が不可能になると、サレはラバトのベッドタウンとして機能するようになる〔。ラバトとは橋や渡し舟で往来することができる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サレ」の詳細全文を読む
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