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サロン・ドートンヌ展(またはサロン・ドトンヌ、フランス語:Salon d'automne)は、サマリテーヌ百貨店をパトロンとし、1903年にマティス、ルオー、ジュルダン、ヴィヤール、マルケ、ボナール、カモアン、フリエスらの参加によって産声を上げたフランスの美術展覧会である。 サロン・ドートンヌ展(日本語で“秋の展覧会”の意味)設立の裏には、当時大変に保守的だと考えられていたフランスのサロン(フランス芸術家協会のサロン展及び国民美術協会サロン展など)への反抗があったと言われている。 1903年10月に第1回のサロン・ドートンヌ展が開催された。誕生から一世紀以上過ぎ、フランスのみならず世界の美術コンクールの傾向は大きく変わり、インターネットの普及から芸術のあり方が変わりつつあると言っても過言ではないが、現在でもなおパリが芸術の都といわれるのもサロン・ドートンヌ展があってのことだったともいえる。歴代の作家達の顔ぶれも魅力的で、モディリアーニ、セザンヌ、ピカソ、ブラック、ルノワール、ミロ、ユトリロ、ルドン、カリエール、ドラン、ヴラマンク、ヴァン・ドンゲンらが活躍して来た。フォーヴィズムやキュビズムの作家たちにも活躍の舞台を提供、近代美術史上に大きな実績を残したサロンである。また、小山敬三、藤田嗣治(レオナール・フジタ)、田中保、蕗谷虹児、高野三三男、佐伯祐三、ヒロ・ヤマガタ、舘井啓明、織田広喜、鶴岡義雄ら、実力派日本人作家達も登竜門として数多く挑戦してきた。前衛作品から具象作品や写実作品まであらゆる傾向の作品を受け入れると同時に、現在に於いても新しいアートの形を探求しつづけている。 サロン・ドートンヌの主催元はサロン・ドートンヌ協会(Société du Salon d'automne)で、本部をフランスのグラン・パレ内に置く。現在も毎年秋にパリ市内にて開催。多くのサロンが衰退する中、現在も企業スポンサーを得て、単独での大会場開催を成し遂げている、個人アーティストの応募に応える数少ない国際サロンのひとつ。近年の日本人入選者は全体の約5%程度となっていて、毎年数十名の日本人入選者の作品を見ることが出来る。決して広き門とは言えない数字ではあるが、日本国内にも応募手続きをサポートしてくれる窓口的な存在の企業(例:日仏フィグー社、欧州美術クラブ)が存在することが、海を越えての出展を容易にしている。 2002年には、サロン・ドートンヌ100周年記念展がパリ16区にて開催され、映画監督のジャン=ジャック・ベネックスやデイヴィッド・リンチらも作品を出展、ピカソらサロン・ドートンヌの歴史を彩ったアーティスト達の子孫で各国で活躍するアーティスト達も一堂に集結した。 2006年展では路上アートや映像などにも着目した展示を多く展開するなど、次世代のアーティスト達にも門戸を開いている。 2006年以降、パリの各サロンが合同で行う「Salon ART EN CAPITAL」がグランパレのLe Nefホールにて開催されるようになったが、当初その中心的サロンと考えられていたサロン・ドートンヌ協会はこれには賛同せず、あくまでサロン・ドートンヌ設立当時の主旨を貫くことを宣言し、現在(2012年時点)の単独開催に至っている。2011年からはパリの目抜き通りであるシャンゼリゼ大通りでの開催が実現。2016年も10月にシャンゼリゼ大通りで開催。 ==参考文献== *''L'art en effervescence - 100ans de salon d'automne'', sous la direction de Noel Coret, CASTADIVA 2003 *''Catalogue du Salon d'automne - Centenaire Salon d'Automne 1903-2003'', Societe du salon d'automne and CASTADIVA 2003 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サロン・ドートンヌ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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